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第65話 ホットミルク
「涼音さ……!」
店の脇の暗闇に引きずり込まれると、涼音が芽生の唇を乱暴に奪った。明らかに怒っている涼音の八つ当たりに、芽生は嫌がったのだが放してくれない。責めるような口づけに、空気を求めて唇を開けば、断罪するかのように深くなった。
「涼音さん、待って……仕事中」
「仕事中だったら、他の男にキスされてもいいのか?」
俺のものだろう、と確認するように唇が芽生を責め立てた。立てなくなるほどに奪われると、ぐいと抱き寄せられる。
「どうしてそういつも……芽生、俺をどうにかするつもりなんだったら……いやいい。今日は帰る」
「待って、涼音さん。行かないで!」
「明日は、来なくていい」
「嫌です、行きます」
明日は土曜日だった。一週間、仕事を頑張った後の土日に、涼音にたくさん会えることが芽生は嬉しく思ってきていた今日この頃だったのに、と唇を噛んだ。
土日にだけ見せる、彼のギャップは甘い罠のようで、仕事の時には絶対に見られない涼音の優しい笑顔を見ることで、芽生は癒されていた。
「じゃあ、ひどいことされると思って、覚悟してから来い」
涼音はそう言うと芽生を解放して、そのまま去っていった。芽生は涼音のその瞳が忘れられなくて、気持ちがざらついたままバイトに戻った。
「芽生さん、大丈夫ですか?」
戻ってすぐに、山崎が心配そうに駆けつけてきてくれた。
「うん、大丈夫。ごめんね、話しこんじゃって」
「いえいえ。何かあったのかと思いましたよ」
それに曖昧に笑ってから、芽生はさっさと仕事を始める。
(涼音さん絶対傷ついた。私のせいだ……)
謝りたい。すぐにでも駆け出していきたかったのだが、突き放されるのが怖くてそれができなかった。
(どうしていつも私って、大事なものを優先できないんだろう)
臆病な自分が嫌になって、盛大にため息を吐きながら、芽生はコップを洗い始める。テーブルに二組残っているだけで、すでに客はほとんど帰っていた。
「芽生、冴えない顔している。大丈夫?」
こつんと頭に拳が飛んできて、振り返れば有紀が立っていた。
「なんでも」
「何でもなくない。すぐ芽生は顔に出る。いったい何十年、俺が芽生のこと見てきたと思っているんだよ」
有紀はふうと息を吐くと、「終わったら話聞こうか?」と微笑んでくれて、芽生は半分泣きそうになりながらうなずいた。
クローズ作業を終えると、有紀が蜂蜜入りのホットミルクを出してくれて、芽生はそれを飲みながら、やっと気分が落ち着いてきた。
「有紀君、私ってめっちゃぼうっとしている?」
「自覚ないわけ?」
「うん」
「芽生はぼうっとしているというか、隙だらけ。まあさ、仕事ばっかりしてきて、おまけにあの狂犬のような弟たちに守られていたんじゃ、恋どころじゃなかったのは分かるけどさ」
「でも、そのせいで好きな人を困らせてしまうなんて思ってもみなかったんだもん。どうしたらいいんだろ。変な誤解させて怒らせちゃった」
有紀は泣きそうなのを我慢している芽生の頭を撫でた。
「芽生はそのままでいいよ。これ以上抱え込むことは無いさ。これから、一歩ずつ、ダメだと思うことは変えて行けばいいし、良いと思うことをすればいいんだよ」
行っておいで、と有紀はほんの少し寂しそうに言った。
「ダメだったら、帰ってくる場所はあるんだから」
そう言われて、芽生ははっとした。芽生には、帰る家族も、家も、そして頼れる人たちもいる。
涼音は?
(涼音さんは、敵が多い涼音さんは……私だから心を開いてくれたのに)
芽生は絶対に謝ろうと決心した。
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