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第66話 解雇
芽生はあまり眠れないまま、翌日の早朝、静かに涼音の部屋に入った。部屋の安定の散らかりっぷりに、またもやため息を吐いたのだが、散らかるというよりも、荒れているという様子に胸が締め付けられた。涼音の心境が反映されているかのようで、芽生は気持ちがもやもやしてしまい、すぐさま片付け作業に入った。
「見てられないよ、こんなんじゃ」
そうさせてしまっているのは自分かもしれないということを、薄々感づきながらも、芽生は片づけをして、掃除を済ませた。
朝ご飯はレンジで簡単に作れるクッキーにした。涼音は渋い顔をしょっちゅうしている割には、甘い物も好きで、ブラックコーヒーに甘いお菓子をかじる癖がある。クッキーが焼きあがってほっと一息ついたのだが、涼音が起きてくる気配がない。
「もうすぐいつもの時間なのに」
寝室を見に行こうかなと思ったのだが、手前で止めた。せっかく疲れをとるために休んでいるのを邪魔したくはなかった。
芽生は手持ち無沙汰になってしまい、ラックにあった本を一冊手に取った。本を読むなんて久しぶりで、しばらくはそのビジネス書を読んでいたのだが、睡魔に襲われて、気が付けがソファで寝てしまっていた。
コーヒーの良い香りがして目を開けると、涼音がコーヒーメーカーでコーヒーを落としていた。
「あっ涼音さん!」
起き上がると、身体からブランケットがずり落ちた。それを見て、芽生は涙が出てきた。泣かないと決めてきていたわりには、芽生の涙腺は脆かった。
「涼音さん」
「起きたか、芽生。来るなって言ったのに」
できません、とブランケットに顔をうずめて、首を振った。
「俺にめちゃくちゃにされに来たんだったら、とんでもないドМだな」
「違います! 謝りたくて!」
「何をだよ?」
「御剣社長と、キスしちゃったこと」
涼音はじっと芽生を見ていた。芽生はブランケットから顔を上げると、恐る恐る涼音を見つめた。
「ごめんなさい」
「で?」
「はい? でって……言われても」
涼音は至極普通の顔をして、芽生の座っているソファに腰かけて、コーヒーを飲み始めた。タブレットを操作しながら、何やら英字を目で追っている。芽生が話せないでいると、涼音は何事もなかったかのように、今度は本を読み始めた。
「あの、涼音さん」
「なんだよ?」
「相当、怒っていますよね?」
それに涼音は答えないが、一瞬目を細めた。それを見て、芽生はやっぱり、と目をつぶる。
「あの、私謝りたくて」
「さっき謝っただろ。二度もいらない」
それは、涼音が会社で見せる、激烈な社長の顔と返事だった。
「触らぬ社長に祟りなし、ですね」
涼音がバタンと本を閉じた。その音に芽生がびくりと身体を震わせると、涼音があっという間に芽生の両腕を掴む。
「よっぽど、俺に乱暴されたいのか? いつもいつも、苛立たせやがって……」
「違いますよ! 謝りたいから来たんです。私は、涼音さんがいいって言いたくて。昨日のは不可抗力ですが、それを言ったら言い訳っぽいじゃないですか! もうどうしていいか分かんないんだもん、恋愛なんてして来なかったんだから、分からないことだらけなんですよ!」
俺だって一緒だ、と涼音も声を珍しく声を荒げた。
「俺だって分からないことだらけなんだよ。お前を大事にしたいのに、優しくしたいのに、その方法さえ分からないんだ。しまいには、せっかくつき合っているのに、あっちにフラフラ、こっちにフラフラされて、首輪でもつけてやろうか?」
芽生は腕を振りほどくと、涼音の肩を掴んだ。
「充分です涼音さん、大事にしてもらっています。わからずやなのは、私の方で……」
芽生は自分が情けなかった。
「芽生、明日からは来なくていい。この仕事は解雇する」
「いやっなんで……」
「二度と来るな。次のいい仕事先を探してやるから、今日は帰れ」
さらに何かを言おうとするのを、涼音は視線だけで黙らせた。
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