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第68話 誘い
陸の作ってくれたお粥を食べて、ゆっくり休んだのが功を奏して、翌朝には熱がだいぶ下がっていた。しかしまだまだ体中が軋む様で、月曜日まで寝込んで、夕方には平熱に戻り、まだ体中が痛いものの、もう一日寝ると、すっかり良くなった。
二日も休んでしまったが、その後無事に出社できたことに、身体を丈夫に生んでくれた両親に感謝しつつも、念のためにマスクをして、お弁当も消化の良いお粥にした。
「陸に感謝しなくっちゃ。たくさん心配してくれたし」
今度は、陸の好きなものをお弁当にたくさん詰めてあげようと芽生は思った。そんなこんなですっかりおざなりになっていたのだが、結局涼音からの連絡はないままだった。
そして、ついにはバイト先にも来ない、社長室への呼び出しもないまま、一週間以上が過ぎてしまっていた。
芽生はその間、何度か連絡をしようかと迷ったのだが、結局何をどうしていいのか分からず、携帯のディスプレイの前でずいぶんとぼんやり過ごしてしまう。
(いつもだったら、明日は何を作ろうなんて考えていたのに……)
金曜日のワクワクした気持ちは、憂鬱な気持ちへと変化した。忙しさを理由に、涼音に気を取られないようにとずっと我慢していたのだが、休みになれば、涼音のことを考えないというのは難しかった。気にしないようにすればするほど、芽生の気持ちはそちらへと寄ってしまう。
(恋愛って、苦しいものなのかも)
芽生はため息を吐きながら、家政婦の仕事のない土曜日を二回過ごした。
「ご飯、食べているかな……」
芽生が自分の部屋の掃除をしながら、鳴らない携帯電話を遠目に見ていると、いきなりそれが鳴った。
驚いて変な声を上げると、慌てて携帯を掴む。見ると、〈御剣陽〉とディスプレイされていた。
「あ、もしもし。折茂です」
『芽生ちゃん? 元気にしているかな?』
いつもと何ら変わりのない、優し気な陽の声が電話口から聞こえてきた。急に涼音が恋しくなって、芽生は泣きそうになるのをこらえる。
「ええ、おかげさまで」
『そう? 元気なさそうな声をしているけれど。ところで、明日会えないかな?』
「え? 私に?」
そうだよ、と陽が笑った。
『話が途中だったからね。少しデートをしない?』
あまりノリ気にはなれなかったのだが、断る理由もなかった。
「分かりました」
『じゃあ明日、十時に迎えに行くからね』
そう言うと、陽は電話を切った。芽生はしばらくその電話を見つめて、涼音にかけようか迷って、そして止めた。何をしても迷惑でしかないような気がして、気が引けてしまっていた。
「涼音さんが、ご飯、食べていますように」
芽生はそれだけ呟くと、携帯電話を手放した。こんなに気持ちがささくれ立ったり、そわそわしたり、相手のたった一言や一挙一動でこんなにも自分が揺れ動くのが恋愛なら、芽生はむいていないと思った。
「明日、何着て行こう」
デート服なんて持っていない。今から買いに行くのもなんかちょっと違うなと思って、芽生はいつも通りの通勤服で行くことにした。
「デートなのに、気乗りしないんじゃ、御剣社長に失礼だよね。しっかり楽しまなくちゃ!」
芽生は気持ちを入れ替えると、さっさと部屋の掃除を終わらせて、明日のために準備を済ませてからゆっくりと布団へ入った。
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