序、

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 こうしてイギリスはフランスに対し明確な優位に立ったわけだが、未だ 覇権を握るまでには至っていなかった。  依然としてフランスはイギリスに挑戦しうる立場を保っており、イギリスの 覇権獲得を妨害すべく、動員しうる限りの力を注いで破壊活動を繰り広げて いたのである。  そのため、アン女王戦争以降、イギリスの勢力拡大の動きは停滞気味 であった。  1744年から1748年にかけて戦われたジョージ王戦争も、北米における 植民地の状況に変更を加えるまでには至らなかった。  その頃までにイギリスの植民地は急速な発展を遂げており、フランスの 植民地であるヌーベルフランスに比してその発展の度合いはもはや圧倒的ともいえたが、フランス側のイギリス植民地に対する破壊工作はなかなかに 凄まじく、フランスと同盟したインディアン達によってもたらされる被害は 無視しえなかった。  簡潔に言えば、イギリスにとり、北米における植民地の安寧を確保する 方法はもはやただ一つ、フランス勢力を完全に駆逐することだけであった。  それ以外ー例えばフランス側についているインディアン達をイギリス側に 寝返らせるという方法ーに頼っても、現状の打開は期しえなかった。  むしろフランス側の調略によってイギリス側のインディアンまでもが フランスに寝返ってしまう、ということまで起こっていたのである。  いまや、イギリスかフランスか、いずれかが北米における覇権を取るまで、 両者の抗争は終わらない、という状況にまで来ていた。  フランス側からすれば、時が経てばたつほどヌーベルフランスに対する イギリス植民地の優位は拡大してしまう訳で、1713年のユトレヒト条約以降 行き詰まっている状況を維持する必要など、どこにもない。むしろ早く行動 に移らなければ、北米における自勢力の存続は危うくなるばかりである。  一方イギリスからしても、自植民地に対するフランスの破壊活動は無視 しえないものであり、早期にこれを解決する必要ことが望まれていた。    当事者双方にとって、早期開戦に踏み切る理由がある時、 平和が長続きすることはありえない。  結局ジョージ王戦争終結よりわずか6年後の1754年に、 フレンチ・インディアン戦争が始められたのは単なる歴史の必然であった。  その戦争の結果、北米における英仏双方の明暗が明確に分かれてしまうのも、また歴史の必然で、あったかもしれない。    戦争は既に始まった。ここからはその記述に移る。  
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