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僕がやって来ると彼女は飛び起きその大きい目を輝かせて迎えてくれた。そして彼女は来たばかりの僕に早く早くと話をせがみ、僕はそんな彼女を楽しませたくて精一杯面白おかしく今日一日の出来事を喋ったものだった。彼女はいつも僕の話を聞くと目を輝かせて、時には腹を抱えて笑ったものだ。そして話が終わると彼女は満足したような表情でに眠りたくなっちゃった呟くのだがこれが別れの挨拶だった。それから彼女は眠りに入る。浅くもなく深くもない眠りに。
彼女と出会ったのは僕が心臓病で入院した時だ。同い年くらいの彼女と廊下で何度か会うたびに挨拶を重ねていたら、いつのまにか仲良くなっていた。僕は彼女と近い未来のことについてよく語り合った。退院してもまた会おうねとかありきたりな未来を。しかし幸いにして僕の心臓病は軽いもので短時間の手術を終えると退院することになったが、彼女は残念ながら退院することはなかった。僕は退院の日に彼女に約束した。これからも僕は君に会いに来るからなと。
それから一年経っても彼女は退院することはなかった。しかも退院するどころか彼女の病状はますます酷くなっていった。だけど僕が約束通りに病室に来ると彼女はあの時と全く変わらない笑顔で僕を迎えてくれで僕に話をせがむのだ。彼女は僕の話ならなんでも喜んでくれたし、時には身をよじらせて笑ったものだ。今から思えば彼女は病院の外の世界の事を知りたかったのだと思う。そして彼女は眠くなってきたと言っていつものように眠る。そうやって彼女と会っていて僕が気づいたのは彼女が寝るのがだんだん早くなったということだった。もちろん彼女は僕の話を喜んで聞いてくれたし、たまに彼女の両親がいる時など僕から聞いた話を弾んだ声で両親に話したものだ。しかし彼女は時折僕の話を聞いている最中にグッタリとした表情で、でも必死に目を開いて僕の話を聞いた後、ありがとうと言ってその場で寝てしまうことが度々起こるようになった。
彼女の体が非常に危ない状態であることは当時の僕にだって分かっていた。さすがに日々弱ってゆく彼女を見るのが辛く用事にかこつけて行かないという選択肢も考えた。しかしそんな思いを隠して病室でいつものように話をし終わってさよならをする時に彼女がか細い声で僕を引き止めるようにこう言ったのだ。
「また来てね。絶対だよ!」
僕にそう言った時の彼女の必死の笑顔を見てしまっては僕に行かないという選択肢はありえなかった。僕は彼女に向かって明日も明後日も来るよと心の中で誓った。そして今にも眠りにつこうとしている彼女に向かって明日また、といい病室から出た。
病室から出ると彼女の両親が並んでいて、僕に近づくといつもありがとうと礼を言ってくれた。その時の両親の表情は異様に暗かった。今から思えばあの時に決定的なことを聞かされたのだと思う。僕はそんな彼女の両親に何も言えず僕ら三人はしばらく無言でその場に立っていた。
その後彼女の病状はみるみるうちに悪化していった。しかし彼女は寝ぼけ眼の目を僕をいつもの笑顔で出迎え、相変わらず僕の話に身を捩るほど笑った。僕もそんな彼女を真剣に喜ばせようと話を大袈裟に誇張までして笑わせてやった。そんなある日のことだった。いつも僕の話を聞いて笑っていた彼女が珍しく自分の話を聞いて欲しいと言ってきたのだった。「いつも面白いお話ばかり聞かせてもらってるから今日お返しに私がお話ししたいの」と彼女は話し出した。
「私この病院に入院して半年ぐらいたった頃から毎日変な夢を見るようになったの。恐らくいつも寝てばっかりだったかもしれないんだけど、なんか自分がイルカになって泳いでいる夢なの。そのイルカはあんまり泳ぎが上手くなくていつもバランスを崩して海底に沈みそうになるの。そして呼吸ができなくなって苦しくてキャー!って叫んで目覚めるの。でもあなたが来るときは違うのよ。私は相変わらず海の中で溺れそうになっているんだけど、あなたが来るときは海の上から光が差してきて『まだそっちには行ってはいけない』って引き止めてくれるの。そこで起きるとあなたがいるじゃない。私なんかあなたが救世主みたいに思えてきてすっごく嬉しくなったの。だけどだんだん溺れている場所が深くなっていってもう海底すら見えないところまで深い場所にまで沈んでしまうようになったの。だけどあなたがくるとやっぱりこうやって目覚めるんだけど、あなたが帰ったあとでまた海の深くまで落ちていって、そこで誰かがこう言っているのが聞こえたの。『もうすぐあなたは還らなくちゃいけない。だから早く泳げるようにおなり。あなたが今いる場所は仮の住まいなのだよ。もう時間は残されていない……』私は当然嫌だって叫んだわよ。だけどそいつは私が眠るたんびに現れて早く泳げるにおなりって言うの。『こっちの世界は悪くない。いや、どんな世界でも住めば都だっていうじゃないか。ってこんな慣用句君にはまだ早いかな?』私はそいつをずっと無視してたんだけど、しばらくじっとしているうちになんだか少しずつ海の中を泳げるようになってきたの。するとパパやママのことも、あなたのことも忘れて行くようになって、そんな時ハッて気づいて慌てて目覚めるの。そしてまだ自分はここにいるって気づいて安心することができる。でも不思議とまた眠気が襲ってきてまた眠ってしまう。何度も海のそこに沈められてるうちに自分でも驚くぐらい泳ぎがうまくなって今では海の中をスイスイ泳げるようになっていったの。この世界じゃ泳げるどころか歩けることさえ出来ないのに不思議だよね。でも泳いでるとやっぱりパパやママそしてあなたのことを忘れてしまう。もう忘れてもいいって気分になってしまう。そして今まで過ごしていたのはやっぱり仮の世界で本当は海が故郷だったって思っちゃうの。ごめんね。自分でも楽しい話をしたかったのになんだか悲しい話をしちゃったみたい。でもまた懲りずに来てね。今度は楽しい話をしてあげるからね。あと……最後に。私はあなたのこと絶対に忘れないよ」
そう言って彼女は笑顔で話を終えた。彼女はまた眠りたくなってきたからごめんねと謝り。僕はそんな彼女にいつものようにまた明日もくるよと言って別れた。
彼女が亡くなったのはその翌日だった。帰宅中に彼女の両親から電話があり、学校を終えた僕は真っ先に彼女の病室に向かった。つい先程亡くなったと彼女の両親は泣きながら言っていた。
彼女が眠る病室に入ると泣き叫ぶ両親に抱えられた彼女がベッドに横たわっていた。ベッドの中で彼女はこれ以上ないぐらいの笑顔を見せて眠っていた。しかし、僕にはその笑顔は僕や彼女の両親に向けられた笑顔ではなく、彼女の語っていた海の仲間に向けた挨拶だと思われた。絶対に忘れないよと彼女は最後に僕に言った。だけど僕は彼女に返事ができるとしたらこう言いたかった。
「いいんだよ。僕なんか忘れても。君が海の中で楽しく暮らせるなら。君は海に還ったんだね」
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