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その3
昨日帰宅してから今日学校に来るまで、違法薬物を持ち歩いている人間ってこういう気持ちなのかなとか考えていた。ぱっと見はただの紙束なので、別にそれを持ち歩こうが学校で受け渡そうが、大した話ではないはずなのだ。そもそも、俺は―というより、俺を含む3人は―何もしていない。少なくとも現段階では、ただ広瀬のUSBが無くなったという事実を共有しているだけだ。
今日の朝に紙束を渡した時点で、ひとまず自分の肩からは荷が下りた。が、まだ本体が見つかったわけではない。
「USB,まだ見つからねえの?」
「うーん、昨日も家探したけど、やっぱないわ」
こいつ、この期に及んで家とか探してるのか。
「いや、職員室のコピー機にこれが出てたんだぞ?これが出せるってことは、USBがなきゃ無理ってことだろうが」
「え、やばい。落としたこと先生たちにばれちゃったかな」
確かにばれてたらまずいけど、多分、心配する所そこじゃないぞ。
心の声は、しかし、別の言葉となって口から出てきた。
「まあ、大丈夫だろ、習った通り謝れば」
謝罪の授業は、色んな意味で毎回盛り上がる。ミニ暴露大会的な要素もあり、それでいて世の中の真理をついているとみんなが感じるからだろう。高校を卒業してからすぐ働き出す人もいるわけで、そういう意味では即効性のある授業だ。学校でも応用できるし、何ならうまくできればこちらを叱っていたはずの先生から褒められる。先生と生徒、どちらの立場の人間も、その大多数が悪く思っていないなんてことはこの空間では相当に珍しいことだから、基本的には良い授業だなと思う。
だから、学校の居心地はそんなに悪くはない。基本的に大勢とつるむことが無いから、むしろ周りのみんなよりも気疲れしていないくらいかもしれない。ただ不意に、何気ない会話の途中でうまく笑えなくて顔が引きつりそうになる瞬間が訪れる。さっき広瀬の言葉を聞いた時も、多分引きつっていたと思う。そうなると、普段は一切の抵抗もなく出てくる言葉が喉元でつかえて、代わりによく分からない、無感情の音声が口から流れてくる。
そんなことたまにしかないけど、そんなことがあるたびに、確実に自分の中に違和感が積もっていく。
周りを見てもそんなことでモヤモヤしているやつなんて居そうになかった。一度だけ、広瀬にそれとなく聞いてみたことがある。
「なんかさ、たまに変だなって思うことないか?」
「変って、何が?いつ思うのそんなこと」
「例えば、今俺が言ったようなこと言うやつをほとんど見かけないな、とか」
「うん、どっちかっていうと今私は富田の思考に困惑です」
「・・・だな。やっぱ何でもないわ」
多分、考えすぎなのだろう。ずっとそれで済ませてこられたが、最近はそれだけでは納得できなくなってきている。いや、正確に言うと違う。前までは「納得できない自分」に対する違和感なのだと思っていた。でもそれは、実は「納得させられている自分」に対する違和感の勘違いではないか?
周りのクラスメートが当たり前のように飲み込んでいる状況や先生たちの言葉、学校での出来事を自分だけ理解できていないように感じるのは、俺の理解力がイマイチだからなのか?考える必要のないことを考えてしまっているからなのか?色々な情報が入ったUSBをどこかに落として、その中に入っていたデータが出力されて置いてあったことを知った時、真っ先に気にすることは相手に最も受け入れられる上手な謝り方を模索することなのか?
違う、と思っていたい。出来れば、誰か別の人にもそう言ってもらいたい。みんなは納得しているわけじゃない、と思う。元々持っていた違和感という概念が、少しずつ消えていっただけ。消えたわけじゃないにしても、違和感を掬い取る感覚は鈍っていると思う。もっと簡単に世間を渡っていけそうな術を習っているから。
森本はなんて言うだろう。俺が広瀬に言ったことと同じことを話したら、どんな言葉で返してくれるだろう。今度聞いてみよう。これまでにないくらいどうしようもなく寂しい気持ちになるかもしれないけど。
帰りのHRで、地域の人から最近苦情が増えていますと先生が切り出した。
「マスクですが、最近うちの生徒で帰宅途中に外している人が増えているそうなので、ちゃんとつけるように。先生たちも気を付けるようにしますが、皆さん自身でやっていかないとダメですよ」
すると、誰かが茶化すように言った。
「でもさ、地域の人相手に謝罪すればいい練習になるんじゃねーの?」
思った以上にウケている。彼のセンスを褒めるべきか、これが笑いになることへの違和感と向き合うべきか、迷う。
「こら、謝罪の授業をそうやって言うな。遊びでやってるんじゃないからな」
先生がごく普通に注意する。むしろ遊びであってほしい。
「あ、今ので思い出した!謝罪原稿忘れるなよ!本番は...明日?明後日か?」
「明後日でーす」
急に隣で広瀬が声を上げた。やめろよビックリするだろ。
「ほんとかー?広瀬が言ったのであってるかみんな?」
先生の確認に、みんなが曖昧に頷く。明後日だよね?いいんじゃね、一日違っても変わらないだろ。せんせー明後日でいきましょー。みんな好き勝手言い始める。
「あー分かった分かった。じゃあ明後日な。みんなで決めた日だから、忘れないように」
そう言いながら、先生が一瞬こちらを見た気がした。
心の呟きを聞かれた気がしてドキッとしたが、そんなわけはない。早いところ終わってくれよと心の呟きを再開する。
日直が号令をかける。起立。礼。さよならー。
「ねえ」
広瀬が小声で話しかけてくる。
「なに」
早く帰りたいんだこっちは。
「さっき先生富田のこと見てなかった?」
気付いてたのか。
「お前かもよ、見てたの」
「私たち別に私語も何もしてなかったじゃんねあの時」
そうだな。それだけ言って、じゃあなと机を離れた。
また明日ねー。後ろから広瀬の声が追いかけてきたから、振り向かずに右手だけ上げた。
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