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夜。僕が布団に入ると、またいつものように神様が現れた。
「おい、いい加減決めてくれよ」
「そんな、困りますよ」
「困るのはこっちだよ。お前の願い事を叶えてやるまで、俺はあっちに帰れないんだぞ」
「願い事なんて、なにもないです」
「いや、ひとつくらいあるだろう」
「ないですって。僕は今の生活に満足してるんです」
「朝起きて、大学に行って、バイトに行って、帰ってきて、寝るだけ。そんな生活に満足できてるわけないだろう」
「なんでそう言いきれるんですか」
「だってお前、大学にひとりも友達いないだろう」
「大学は勉強しに行くところなんですから、友達なんていなくてもいいんです」
「バイトだって、別に楽しくないだろう」
「バイトはお金を稼ぐためにやってるんですから、楽しくなくてもいいんです」
「帰ってきてからも、適当に飯食って漫画読んで寝るだけじゃないか」
「漫画が唯一の趣味なんです。それが唯一の楽しみなんです。だからそれでいいんです」
「本当に?本当になにひとつの不満もないのか?」
「ないです。だからもう僕に付きまとうのはやめてください。おやすみなさい」
「いや待…」
僕が電気を消すと、神様の姿は消えてしまった。
翌朝。いつものように満員電車に揺られていると、また神様が現れた。
「おはよう」
「もう、なんなんですか」
「言ったろう?お前の願い事を叶えてやるまで、俺はあっちに帰れないの」
「だから、願い事なんてないんですって」
「にしても、本当に混んでるな」神様は辺りを見渡して言った。
満員電車ゼロ宣言もむなしく、今朝も電車は乗車率200%の大混雑だ。
「こんな小さな島に一億超の人が暮らしてるんです。だからこれもしょうがないんです」
「だとしても、これはちょっと酷いだろう」
「まあ、僕もうんざりしてますけどね、正直」
「人が多すぎることに?」
「はい。みんな消えちゃえばいいのにって思うこともあります」
「じゃあ、消しちゃう?」
「いやいやいや、それはよしてください」
「なんで?」
「だって、人がいなくなったら電気とかガスとか水道とかライフラインが機能しなくなるでしょう。それに野菜とか肉魚とか、食べ物だって困るし」
「お前、意外と現実見えてるんだな」
「そうですよ」
「じゃあこういうのは?人間をなにか別の生き物の姿に変える」
「姿を?」
「そう。人間のまま、姿だけを別の生き物に変える」
「例えば、なにに?」
「お前の好きな生き物は?」
「トイプードル」
「じゃあ、この世界中の人間の姿をトイプードルにする。すると…どうなる?」
「それは…」
僕は想像した。
人間の姿がトイプードルな世界。フワフワ、モフモフのトイプードルたちでいっぱいの満員電車。
「かわいい」
「じゃあ、しちゃう?」
「いやいやいや…」
もし世界中の人間がトイプードルになってしまったら、世界は機能しなくなるだろう。
でも、神様は人間の姿を変えると言った。姿だけトイプードルになるんだったら、世界は今までとなにも変わらないんじゃないか。
僕は想像した。
朝起きて、テレビをつける。
ニュース番組にチャンネルを合わせると、眼鏡をかけたトイプードルアナウンサーが熱心に今日のニュースを読み上げている。どうやら、渋谷の住宅街で殺人事件が起こったらしい。被害者は女性トイプードル。容疑者の男トイプードルは現在逃走中だという。
ふと時計を見ると、家を出るまであと十分しかない。急いで朝食を済ませ、身支度も済ませ、外に出る。
最寄り駅の改札を抜け、ホームに向かう。間もなく到着した電車は相変わらず大勢のトイプードルで混雑していて、どうにか身体を押し込むと、前後左右フワフワ、モフモフのぎゅうぎゅう詰めだ。
大学に到着し、一限の講義を受ける。この講義を担当する先生はいつも若者を見下した態度でいるからいけ好かない。今日だって「最近の学生は本も読まずにパソコンだのスマホだのタブレットだのに夢中になっているからいけない」と、茶色の毛をフワフワさせながら吠えている。
講義が終わると、バイト先のコンビニに向かう。
レジに立っていると、不機嫌そうな男トイプードルがおにぎりとペットボトルのお茶を僕に向かって投げつけてきた。
「早くしろよ」そいつは今にもかみつきそうな勢いで吠えたてた。
「お預かりします」僕は慎重に、冷静に、そして丁寧に、そいつに対応した。
「感じ悪いやつですね」そいつが去ってしまうと、隣のレジに立っているミカちゃんが言った。
ミカちゃんは僕より一つ年下の女の子トイプードルで、僕はここのバイトを始めた二年前からずっと、彼女に恋をしている。
「最近多いよね、ああいうオラオラ系トイプードル」僕がそう言うと、彼女は尻尾をフリフリさせた。
「でも、先輩は全然動じてなくて、すごくかっこよかったです」彼女のその言葉を聞いて、僕は決意した。
「ミカちゃん、よかったら今度の日曜、食事でもどう?」
「ぜひ!行きましょう」彼女はピンク色の舌を垂れ下げて、嬉しそうに微笑んだ。
日曜、二人で焼肉を食べに行った。
「先輩に誘ってもらえて、すごく嬉しかったです」ミカちゃんは牛肉をむしゃむしゃしながら、言った。
「本当?実はずっと前から誘いたかったんだけど、勇気が出なかったんだ」
「え?そうだったんですか?」
「うん。断られたらどうしようかって不安で、なかなか誘えなかった」
「私が先輩からの誘いを断るわけないじゃないじゃないですか~」彼女は両耳をピョンピョンさせた。
「そう?」
「はい。だって私、先輩のこと好きですから」
「え!?」驚く僕を見て、彼女は笑った。
「気付いてなかっただなんて、先輩、鈍感すぎます」
「いや、わかんないよ」
「私、だいぶわかりやすい方ですよ?すぐ尻尾振っちゃうし」
「いやいやいや…わかんなかった」
「先輩、私と付き合ってくれますか?」照れて俯く僕に向かって、彼女は言った。
「あ、うん、ぜひ、よろしくお願いします」僕がそう言うと、彼女は僕の口元をぺろりと舐めた。
その後、僕たちは結婚し、四人の子宝に恵まれる。
六人家族になった僕たちは田舎に庭付きの家を買って、決して裕福ではないものの、愛が溢れる幸せで豊かな生活を送る。
子供たちはあっという間に成長し、立派に巣立っていく。
僕はミカちゃんと幸せな余生を過ごし、ある温かい春の日、満開の桜を眺めながら、彼女の横で静かに一生を終える。
ここまで想像して、僕は決心した。
「変えてください」
「よしきた!」僕の言葉を聞くと、神様は両手を叩いて叫んだ。
「すべての人間の姿よ、トイプードルになあれ!」
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