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思わず男のほうを振り向くと、夜風にたなびく黒いコートの向こうに、白いぼんやりとした光が見えた。光は草むらの間を、ふらりふらりと泳ぐように浮遊し、すすり泣きを漏らしている。
「な、なんだよ、あれ……」
「首切り事件の、被害者ですよ」
「え……」
「どこかの愚か者が、女生徒ばかり狙っては首を切り、死体ごと、この公園に隠していますからね。その、最初の一人です」
「つまり、幽霊ってこと? そんな非現実的な……」
「現実だけが真実ならば、私はこの世にいませんよ」
男はにっこりと笑って、突然、ナイフを手に取った。
「え、なんで……」
哲也が言い切る前に、男は、ナイフを突き立てた。男自身の首元に。
「うわあ!」
哲也は、腰を抜かして地面にしりもちをつく。
男の首元からは鮮血があふれ出し、それが幾筋も哲也の頬に落ちてくる。
「ああ、痛い。痛いですねえ、哲也君。いくら不死人であろうが、首を切られれば痛い。苦しい。悲しい。切ない。痛いですねえ、哲也君」
「な、なんなんだお前!」
「そう怯えないでくださいよ。君にも、覚えがあるでしょう? この痛みに」
「え……?」
男は膝まづき、血だらけの手で哲也の頬をなでた。
勉強ばかりで生白い哲也の頬が、男の手と血で蹂躙されていく。
「だってあなたも、首を切られて死んだ一人なのですから」
男の手が、哲也のチェックのマフラーを解いていく。
哲也の首が、ゴロンと公園の石畳に落ちた。
「悲しいですねぇ。悔しいですねぇ、哲也君。死んだこともわからず彷徨うなんて、孤独ですねぇ」
「僕、死んだの?」
哲也は、自分の首を拾いながらそう言った。体育すわりをしている膝の上に乗せると、それは奇妙なオブジェにも見える。
「ええ。この公園、あそこのベンチで眠っている間に、首を切られて」
「どうして……」
哲也の目から涙がぽろぽろと落ちる。
「僕はね、人生の半分勉強だったんだよ。寝てる時以外ずぅっとね。お風呂のときも、ごはんの時も隣には単語帳があって。流行りのゲームも音楽もなにも聞かずに頑張ってきたのに……」
「それは、お父様の言いつけで?」
「ううん……。父さんに、振り向いてほしくて。仕事と女に忙しくっても、勉強できていい大学に入れば、「よくやった。お前は俺の誇りだ」って言ってくれるかなって……」
哲也の涙は、もう止まらなかった。
「それなのに、こんな最期なんてひどすぎるじゃないか……」
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