05.御堂コンツェルン

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「ななせ、…っ」 すれ違った空気が痛くて、どうしようもなく痛くて、ななせを振り仰いだ私に、 「…ただいま」 ふわりと。 私にだけ聞こえるような、静かなななせの声が降りてきて、つま先から震えた。そのまま振り返らずにななせは行ってしまったけれど、ななせのただいまが愛しすぎて震えが止まらなかった。 膝から崩れ落ちて床にへたり込む。微かで儚い宝物みたいなななせの声を抱きしめた。 取り返しのつかないことをした。 でも。どうしようもなかった。 相反する二つの感情が混ざり合って、収拾がつかない。 失くしたものの大きさだけが確かで、息が出来ない。 ななせが好き。ななせが。ななせだけが。 その気持ちだけで生きていけたらいいのに。 廊下で膝を抱えたまま息を殺して、感情も殺した。 絶対に泣いてはいけない。 そうするしかなかった。間違ってなかった。だから泣いてはいけない。 自分に命じて、心に蓋をして、いくつもいくつも鍵をかけて、立ち上がる。噛みしめ過ぎた奥歯が痛い。 キッチンに戻って、そばを茹でた。 ななせの部屋には、もう入れない。最後に一緒にいたのは私だったのに。 ななせの匂いのするベッドで、 『…時間足りねぇ』 1秒を惜しんでななせに満たされていたのは私だったのに。 もう。今は。 茹で上がったそばを湯切りをしたら、蒸気が上がって視界が曇った。 曇ったのは蒸気のせいで、涙のせいじゃない。 水分と一緒に湿った気持ちを振り払う。振り絞る。振り切る。 気持ちを整えて呼吸を整えて、ななせとオリビアちゃんを呼びに行った。 「おそばが出来ましたよ~~~」 必要以上に声を張り上げたら裏返った。 おそばを食べてもらったら、外に出ようと思った。 オリビアちゃんが来ているなら、私はいない方がいい。ただ、穂積さんのことだけは聞いてみなければ。ともかくもそのためにななせに会いに来たわけだから。 「わ、…っ」 思いがけず、すぐに部屋のドアが開いて、危うく出てきたななせとぶつかりそうになった。 「…ありがと」 無駄に動揺している私と違って、ななせは至って普通に戻っている。 普通の。家族に。弟に。 ななせの甘くかすれた声が耳に痛い。脇を通り過ぎたななせの後姿が痛い。 かすりもしない。ななせに触って欲しいと思っている自分が痛い。 「もぉ、ナナ。待ってよ~~~」 続いて出てきたオリビアちゃんに先を譲る。開いたままのななせの部屋のドアをそっと閉めた。
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