裏窓より

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 肌寒い秋だというのに、男は冷たい紅茶を出してきた。ガスコンロが不調で、火が起こせないと侘びて。  わたしは気にせず、冷たい紅茶を一口飲んで舌を冷やす。一緒に出されたクッキーも齧る。それから本題に入る。  あの、板を打ち付けた窓はなんですか? なぜ一方の窓だけ。  室内にはふたつの両開きの裏窓があった。一方はなんともしていないのに、もう一方は全面的に室内側から板が打ち付けてあるのだ。  この新築洋風アパートは高台に位置する。窓からの景色はさぞや眺めがいいだろうに。  男は唇を曲げ、囁く。  見てはいけないものを、見てしまいまして。  どこか楽しそうに続ける。  もう一方はともかく、こちらのほうは向こう岸が見えてしまう、ちょうどそういう位置にあるらしいんですよ。奇跡的なことに。  男はため息を吐く。  私だって悪気があって見たわけじゃないんですよ。たまたまですよ。それに見るなんて行為は、多かれ少なかれ一方的なものだ。  それなのに、と男は子供っぽく唇を尖らせる。  見た私が全面的に悪いってことにされちゃって。境界があることにあぐらをかいて、見られる可能性を考慮しなかった向こうもどうかと思うんですがね。  男も自分のティーカップを取って紅茶を啜る。飲み干して、呻いた。  ああ、駄目だ。満たされない。  封印されたほうの窓が激しく鳴って、板が撓んだ。何かが暴れているような、くぐもった唸りが窓の内からする。  ほうら、まだ私を責めている。  男の表情が青黒くなった。  これ以上どう償えというのでしょう。もう死んでいるのに。  ところで、と男はわたしにまっすぐ、落ちくぼんだ目を向ける。  見つけてくれて、ありがとうございます。私も、退屈してまして。  わたしはかぶりを横に振って返す。  通りから、もう一方の窓辺にいるのがいつも見えた。  それはそれは。男は声音を高くし嬉しそうだ。  わたしたちは椅子から立ち上がり、板を打ち付けていないほうの窓辺に立った。  枯れ木の枝が、窓に迫っている。ごうごうという風になぶられ、枝先の茶色の葉が落ちる。  わたしは窓を開けて、やや身を乗り出すようにした。  男はわたしを後ろから抱く。  どうする? と聞かれ、誰か通りかかったら、と答えた。  首に掛かる指。耳元には男の吐息。死者の吐息は秋より冷たい。  やがてわたしを視線が見つめるだろう。やがてわたしの首に圧迫が来るだろう。  誰かの瞳に落ちることを思い、わたしは目を閉じた。
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