39人が本棚に入れています
本棚に追加
~冷徹秘書の秘密の時間~
生贄聖女――いや、ルクシエルが魔界にきて1か月がたった。ルクシエルはいま、魔王の執務室にこしらえられた籐椅子で編み物をしている。謁見にくる魔物たちはみな一様に驚き、魔王様の食料かと首をかしげ、さりとて最強魔王に直接きくこともできず、混乱のうちに王城を去っていった。
「ジン……。やっぱりこれ、誤解されているよな?」
「でしょうね」
魔王はためいきをつき、秘書のジンも肩をすくめる。
「かと言ってなあ、野放しにしておくのはフェンリルを人間界に放つより危険だし……」
魔王の言葉に、ジンもうなずく。包丁で怪我をしたとか、小さな咳をしたというだけで、「私を食べてください」と突っ込んでいくルクシエルを守るためには、魔王の隣で「魔王様のために編み物でも」という他なかったのだ。しかも編み物の腕は、想像以上に悪い。
マフラー用に糸と編針を渡したはずなのに、ヘドロお化けができている。魔界にもこんな禍々しいものはいない。ルクシエルの精神世界を表しているのかと邪推したが、「小さなころは冒険者の両親と旅をしていましたし、聖女教育には編み物はありませんでしたから!」とちょっと憤慨されてしまった。自分なりに下手だという認識はあるらしかった。
「ま、ひとまず本日の政務は終わりですから。あとは、また明日に」
「ちょっと待て、ジン。まだ俺の仕事は終わってない」
魔王の机には、大量の書類が積み上げられている。
「でしょうね。ですから後は、魔王様お一人で」
ジンはにっこりと笑うと、魔王に背を向けた。扉が閉まる音を聞いてから、魔王は盛大なため息をつく。
「なぜ、労働基準法は魔王を守らない? 法務省に是正を求めるべきか? いや、しかし三権分立が……」
魔王のつぶやきに、ルクシエルが首をかしげる。
「魔王様は自営業職扱いだからでは?」
「え??」
最初のコメントを投稿しよう!