第一章:拾った仔猫

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4  まばらな拍手が聞こえた。どうも調子が出ない。ここのところ、そんなライブが続いていた。演奏自体は、DIRTY NOBLEの全員が「悪くはない」と思える内容であるにもかかわらず、観客の反応はイマイチなのだ。特に今日は、充が観客を煽る言葉も空虚に響き、ライブハウス全体が熱にうなされる様な、皆が一つとなる熱い脈動は感じられなかった。最近では稀にみる酷い内容だ。  観客は演奏を聴くことよりも、むしろ連れと会話する方に夢中で、なんなら「演奏が邪魔で声が聞き取れません」的な雰囲気すら感じる。ドリンクの追加をしに演奏中に席を立つ者も多く、そんな姿をステージ上から見ていれば、おのずとつまらない演奏になるという悪循環から抜け出せずにいた。  誰にも理由は判らなかった。演奏が悪いのか、音が悪いのか、楽曲が悪いのか、それとも観客が悪いのか。ライブ明けに「飲みに行こう」と言い出す者もおらず、四人は無言のままそれぞれの帰途に就いた。  「ただいま」  「あら、早かったのね?」  ライブ会場から先に戻っていた万理が、普段より早く帰宅した蘭子を見て言った。いつもなら軽く飲んでから帰ってくるのに、今日はいったい・・・。そういえば最近、そういう日が多いような気もする。でも、蘭子が早く帰ってきて、嬉しくない筈はない。  「今日は飲みに行かなかったんだ?」  「うん・・・」  「どうしたの? 元気が無いみたいだけど」  「聞いてたから理由は判ってるでしょ?」  蘭子は視線を逸らすような感じで、着ていたジャケットを脱いでハンガーに掛ける。そして冷蔵庫の前まで行くと、中から350mlの発泡酒を取り出し、すぐさまプルトップを引いた。プシュッといって溢れそうになった泡を口に持って行き、その場に立ったまま半分ほどを一気に流し込む。  「ライブが上手くいかなかったってこと? しょうがないよ。そういう日もあるって」  「・・・・・・」  万理にも判るほどだから、相当酷かったに違いない。しかし蘭子には、客がノリ切れなかった理由に心当たりが有るのだった。それは自分自身だ。  以前であれば、学生のノリで楽しく演奏できればそれで良かった。しかし最近は万理との将来のことが頭を過り、昔ほど無邪気に演奏を楽しめないのだ。彼女との生活を守るためにも、地道な道を歩むべきではと考え始めていた蘭子は、輪をかけて身の入った演奏が出来ずにいたのだ。そう。彼女は自分の才能に限界を感じ始めていたのだった。  そんな気の入らない演奏をしていては、聴く者を惹き付けることなど出来るはずも無い。演者の微妙なトーンを敏感に察知した観客が、醒めた反応を示すのだろう。そんな惰性だけで続けているようなライブが繰り返されていた。  辛いのは、それをバンドのメンバーがそれとなく気付いている風なことだ。あえて名指しで非難したりはしないが、蘭子が叩き出すリズムのキレの無さや重さ、抑揚に欠ける平坦さに気付いているのが言葉の節々から漏れ伝わってくるのだ。それは済まないと思う。しかし万理とバンドを両天秤に掛けた場合、それがどちらに傾くかなど判り切っている。  こんな落ち込んだ時は、いつも万理が励ましてくれる。無論、今日もだ。  「大丈夫。蘭子は絶対才能が有るって。蘭子のドラムってスッゴイんだもん。きっとメジャーデビューしてビッグになって、武道館だって東京ドームだっていっぱいにしちゃうんだから。それで超有名な大物ミュージシャンに声掛けられて、バックで演奏しちゃったりとか、レコーディングに参加しちゃったりとか? うふふ・・・」  無邪気に夢想を広げる万理の言葉も空しく通り過ぎるだけで、今日ばかりは蘭子の心に届かないのだった。  「お風呂、先に入るでしょ? その間に急いで晩御飯の支度するね」  「う、うん・・・」  「蘭子」  最悪なライブの翌週月曜日、学内の掲示板で休講の確認をしていると、背後から声が掛かった。振り向くと興毅が片手を上げて笑っていた。  「何か楽しいことでも書いてある?」  「んん~、ダメ。休講無し。私、休講だけを楽しみに学校に来てるのになぁ・・・」  「ハハハ。文学部も似たようなもんか? 俺っちの工学部も、教授陣が真面目で困っちゃうよ」  そう言って歩き出した興毅に、なんとなく蘭子もついて行く。どうやら学食の有る6号館に向かっているようだ。もうそろそろ帰ろうと思っていた蘭子であったが、ちょっと食堂でダベってから帰るか。  6号館のエントランスに入ると、興毅は迷うことなく地下一階の学食へと続く階段を下り始めた。そして前を向いたまま、後ろに続く蘭子に聞こえるように言う。  「この前のライブさぁ・・・」  来た、と蘭子は思った。自分の不甲斐ない演奏のせいで、全部を台無しにしてしまったのだから、ここはいかなる苦言も甘んじて受け入れるしかないだろう。  「あぁ、ゴメンね。私のせいで」  「えっ? 蘭子のせい?」  「うん、私の・・・ あれ? 違うの?」  「いやいや、俺が言おうとしたのは、俺のせいでライブが台無しになっちまって申し訳ないって話だよ」  「興毅のせいで?」  「そう。俺、ちょっと考えることが有ってさ、なんか演奏に集中できなかったんだよね」  「そうなの? 実は私もなの。って言うか、興毅のギターが元気なかったのは、私のせいじゃなかったってことなの? 私はてっきり、自分がみんなの足引っ張っちゃったせいだと思ってたのに」  「そんなこと無いよって言うか、何? 蘭子もノリ切れてなかったの? なぁ~んだ。なんか安心した」  そうやって笑う興毅に、蘭子も胸を撫で下ろすような安堵感に包まれ、思わず笑った。  「心配して損したよ」  「そりゃ俺のセリフだよ」  二人して声を出して笑い合った。  「でさ、このままバンド続けていていいのかな、って思うんだ、俺」  時間帯としては授業中ということで、学食でくだを巻く学生の数も少なめだ。蘭子と興毅は、閑散とした学食の窓際の四人席を二人で使って話し込んでいた。  「だよねぇ~。でも、健志も充も、こっちの方面で食っていこうって考えてるみたいじゃん。だから私、どうしても言いそびれちゃってさ。もちろんアイツらが真剣に音楽を目指すって言うなら、最大限協力したいと思ってるよ。でも私にも私の選択が有るわけでしょ?」  図らずも、興毅も同じように考えていることを知って、蘭子は胸のつかえがとれたような気がするのだった。  「そうなんだよ。バンド内の温度差って、どうしても有るんだよね。やっぱ一度、二人にちゃんと話した方がいいよな」  「そうだね。もし言い難かったら、私も一緒に言うから」  「サンキュ。でも、やっぱり俺がちゃんと話すよ。話さなきゃダメだと思う。蘭子の気持は、俺の方から二人に伝えておくから」  そう言って興毅は、紙コップのコーヒーを一口啜った。しかしよく見ると、彼のコーヒーは先程から殆ど減っておらず、なんだか緊張しているような風にも見受けられた。  「で、蘭子はさ・・・ 卒業したらどうするつもりなの?」  万理の顔が浮かんだ。彼女とのことは、まだ誰にも話していない。今の時代、それは隠すほどのことではないのかもしれないが、ただ何となく言いそびれているのだ。従って、蘭子がレズビアンであることも、彼は知らない。  「う~ん・・・ 別にこれといって何かを考えているわけじゃないんだけどね」  嘘である。蘭子は毎日毎日、万理との生活をどうやって維持してゆくか、そればかり考えてばかりいるのだから。だからこそ、あんなに腑抜けた演奏になってしまったのだから。  「じゃぁさ・・・」興毅の持つ紙コップが、少し震えているように感じた。「じゃぁ、俺と北海道に行かない?」  「えっ?」蘭子が目を(しばた)いた。  「い、いや・・・ 無理にとかって意味じゃないけど。ど、どうかな・・・ 北海道・・・」  「北海道?」  蘭子はポカンとした顔を向ける。興毅が何を言っているのか、よく判らない。  「俺の叔父さんがさ、士別で羊の牧場やってるんだ。でも叔父さんとこ、子宝に恵まれなくってさ、今の代で牧場畳んで離農しようと思ってるらしいんだ。それで俺、卒業後は地元に帰って、その牧場継ごうかなって思ってるんだけど・・・」  「標津・・・」  「あっ、標津じゃなくて士別の方ね。つっても知るわけないか。士別は北海道の真ん中くらいに有って、羊の産地なんだ。サフォーク種ってのが有名でさ。旭川から電車でちょっと北に・・・」  「それって・・・」  「・・・・・・」  「プロポーズってこと?」  グッと詰まるような様子を見せた興毅が、堰を切ったようにベラベラと喋りだす。  「いやいやいやいや! そんな大それたもんじゃないって! だって俺たち、恋人同士って訳でもないし。た、ただ一緒に牧場やるってのはどうかなって・・・ ほら、気心が知れた仲間がいた方が楽しいし・・・ ダ、ダメかな、やっぱり」  「ご、ごめん。ちょっと考えさせて・・・」  「あっ、うん。全然オッケー。返事はいつでもいいから。あは、あはは・・・」  けんもほろろに断られるのではないか、或いはゲラゲラと笑いだされて相手にして貰えないのではないかと危惧していた興毅は、安心して喉が渇いたのか、残りの冷め切ったコーヒーを一気に飲み干した。  どうして「考えさせて」などと言ってしまったのだろう? はっきりと断ればよかったのに。蘭子は自宅へと向かう帰りの電車の中で、ボンヤリとそんなことを考えていた。  興毅は明言しなかったが、そういう(・・・・)意味であることは明白じゃないか。今の自分が万理を捨てて、男の元に走る可能性が有るとでもいうのか? よしんば興毅にその気(・・・)が無かったとして、万理を連れて北海道に行けるとしても、彼女の気持ちを確認せずに決められることではないし、都会育ちの万理に牧場なんて無理に決まっている。  だったら興毅の誘いに乗って、ノコノコと標津だか士別だかにまで行く目など、最初から有りはしないのだ。だからこそ、はっきりと断るべきだったのだ。  しかし、と蘭子は思う。男性に面と向かって、ここまで突っ込んだ意思表示をされたことなど、自分の人生で過去に有っただろうか? 誰かから好意を寄せられていると感じたことは、これまでに何度か有った。しかしその一線を越えて、より深い意味合いの言葉を投げかけてくれた男性が、かつて自分の周りにいただろうか? レズだとかゲイだとか言う以前に、ここまでストレートに気持ちを伝えてくれる男性に出会ったことなど、生まれて初めてだった。  自分は動揺しているのだ。初めての出来事に泡食っているだけなのだ。そう思って蘭子は、自分を落ち着かせようとした。しかし裏を返せば、興毅の言葉はそれほどまでに蘭子の心を揺さぶり動かしたのだった。  電車はゆっくりと、網島の駅に停車した。
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