実は武士でして

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本当に平凡な人間だ。嫌になるくらい平凡だ。 昔から相も変わらず平凡だ。 小学校では友達の影響でサッカーチームに所属したが万年控えが恥ずかしくなり5年の時にやめた。 中学校では心機一転野球を始めたが小学校からやっている連中には敵わずにまたもやベンチを温めることに徹した。 そういえば修学旅行で行った京都では御多分に漏れずなんとなく木刀をお土産にして母親に「アホ」と怒られた。 道行く男性の中から適当に誰か一人を選んで互いに記憶を交換したとしても大して問題にならないくらいに一般的で特徴のない人生を歩んできた。 それでも特に自分のことをを不満に思ったことがないのは両親も呑気なものだったからだろうか。僕が何をやってもあまりうまくいかないのを見てもがっかりするでもなく励ますでもなく他人事みたいに鼻で笑っていた。 「まあ人生一回目だからな。しょうがないよな。」 そんな風に一笑に付してしまった。張り合いがないような気もしたし、親としてどうなんだろうと思わないこともなかったが、おかげで梲の上がらない日々も適当に受け流して生きてこられた。 そんな父親が珍しく真剣な目をした日の事はやけによく覚えている。 「聡、父さんがいいこと教えてやろうか」 中学のころだった。庭の雑草が逞しく生い茂るのを横目に好対照を描くように力の抜けた素振りをする僕に父が声をかけた。こちらも含み笑いのような力の抜けた声であった。 「いいよ、お父さん野球なんかしたことないじゃん」 どうせいつもみたいに揶揄われて終わりだろう。人が真面目に練習しているのだから邪魔しないでほしい。不満に口を尖らせた。 「いいからいいから、な。」 何が良いのかさっぱりわからないが父の大きな手に丸め込まれた。庭の真ん中、母が洗濯を干すために毎日踏みつけて居たらいつの間にか草の一本も生えなくなった禿地に立たされる。継続は力なりという言葉を実感させられる奇跡の禿地だ。 「よし、それで右手伸ばせ。もっと、ほら目一杯に」 ぐるぐるバットの準備態勢の片手版とでもいえば伝わるだろうか。とにかく僕は限界まで右腕を伸ばしてできるだけ身体から離したところにバットならぬ木刀をついていた。何をやらされているのだろうと思いながら父の声に従っていた。 「そしたらそのままぐるっと回れ。円を描くみたいに」 早く終わらせてしまいたい一心で言われた通りに手足を動かした。禿地に大きな円が現れた。ミステリーサークルみたいだ。心の中で呟いたとたんに僕にそっくりの声がかき消す。 「ミステリーサークルって言うのがあってな。UFOが着陸した跡にできる形なんだよ。これで仲間のUFOをおびき寄せて」 にやにやという擬態語がこれほど似合う人は他にいないだろうというような顔で笑っていた。やっぱりだ。真面目に付き合って損した。ため息を残して踵を返そうとすると父の手が慌てて僕の肩を掴んだ。 「待て待て、お前気が短いな。駄目だよそんなんじゃ。ツーストライクからが勝負だろうが。」 また適当なことを言っている。野球のルールなんか分かっていないくせに。いつも試合そっちのけでビールを飲んでるくせに。どっちが勝っても真っ赤な顔で喜んでいるくせに。 「いいか、聡。その円がお前の手の届く範囲だ。大きかろうが小さかろうが関係ない。他の誰かと比べる必要もない。それはお前だけの円だ。」 父はにやにやを急にどこかに消し去ってしまった。いつも気怠げに伏せられていた瞳がしっかりと光を湛えていた。声色は普段と同じだったが、いつもとは違う凄みをどこかに感じたのはやはり親子だからだろうか。思わずじっくりとその顔を見つめてしまう。本当にさっきまでと同じ人なのかと。 「その円の外のことは気にしなくていいんだ。何が起きてもしょうがない。聡の力の及ぶ範囲じゃないんだ。鼻で笑って忘れてしまえばいい。その方が健全だ。だけどな、その代わりお前はその円の中でできることがある。お前がいるその円の中のことには全て責任をとらなくちゃいけない。分かるか?」 僕が描いた奇跡を父の突っかけたサンダルの先がなぞる。円の中に立たされた僕は何も言えずただ黙っていた。10月の風が僕と父の間を吹き抜けた。その冷たさにいつの間にか額に汗を浮かべていたことに気づかされた。僕の身体は父が何か大切なことを話していることにとうに気づいていた。 「ちょっと残酷かもしれない。しんどいかもしれない。けどな、お前の手の届く範囲内のことは作為も不作為も全部お前が責任をとらなくちゃいけないんだ。手を出すも出さないも自由だ、だけどその結果は全部お前の責任になる。それを忘れるな。」 父が僕の円の中に手を伸ばした。頭の上に大きな手がポンポンと体重をかけてくる。忘れるな、その言葉に頷いたのか頷かされたのかは分からないが、僕は父のこの言葉を忘れたくないと思った。よく分からない点もたくさんあったが、それでも忘れたくないと確かに思った。 「まあそんなに心配するな。お前のコンパスはそんなに長くない。父さんとかほら、四番の木村君とかはやっぱスタイルがいいからな。お前が足りない分はうんと手を伸ばして助けてやる。」 僕がそんなに情けない顔をしていたのだろうか。父は安心させるかのようにいつもみたいに僕を揶揄って笑った。 「エラーしてもその範囲の外だったらお前のせいじゃないって言えばいいよ。手が届かないんでって。わはは。」 そんなこと言ったら監督に大目玉を食らうだろう。馬鹿言うんじゃない、滑り込めって。相変わらずこの人は野球のルールなんかに興味はないのだろう。笑い声とともに禿地から遠ざかっていく背中を僕はただ見つめていた。
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