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その後
あれから7年。
いちばん下の娘も、小学4年生になった。
上の子は、今年、二十歳(はたち)となり、年明けには成人式を迎える。
真ん中は、高校3年生。夢に向かって、来年の春には進学予定だ。
子どもたちが無事に成長し、心も身体も大きくなった姿を見られることは、僕にとって、人生最大のよろこびだ。
7年前のあの日、僕は、高いところから、ダイブした。
飛(跳、翔)べると思ってしまったのか。
気がついたときには、病院のベットだった。
あれから7年。仕事復帰を果たし、ようやく最近、ダイブ前の自分を取り戻しつつある。
もちろん、すべてが元どおりとは言えないが、ダイブ前の自分とくらべて、角(かど)がまるくなり、洗練と成熟のはざまで、進(深)化したと思うことがある。
以前の僕は、何ごとにも全集中、全速力で、生き急いでいた。心のどこかで、奥底では、どうなっても良いと、あきらめていたのかもしれない。
臨死のような体験をし、よみがえりのような経験は、僕を大いに、プラスの方向に変えてくれた。
もっとも考え方が変わったのは、断捨離(だんしゃり)の重要性の認識だ。
以前の僕は、物も思いも捨てない、すべてを抱え込んでいた。そんなに抱えなくても良いのに、抱えることが義務であり、責任であると勝手に思い込んでいた。
人間の心の容量は無限だが、メンテナンスしないと、固まる。
コンピュータもそうであるが、定期的にクリーニングする必要があったのだ。
以前の僕は、そのクリーニングをせずに、欲ばって、溜め込むことしかしなかった。ただただ溜める、溜め込むことだけで満足していた。
たしかにインプットは重要だ。しかし、アウトプットをしなかったら、無限の容量であっても、いつかは、いっぱいになってしまうのだ。
7年前、僕は、いっぱいいっぱいになって、これ以上溜められないところまで行って、あふれて、ダイブしてしまったのかもしれない。
連日連夜の過労の蓄積、若いから大丈夫と無理をし続けた結果、心と身体が限界に達して、ダイブという異常行動を引き起こしたのかもしれない。
知らず知らず、心と身体が蝕(むしば)まれ、限界にあると、悪いものに隙(すき)を与え、邪心(神)に取り込まれることを許してしまうのか。
邪心(神)は手強(てごわ)い。
一見、神のふりをして、僕たちに近づいてくるからだ。
甘い言葉には要注意だ。もっとも、心と身体が蝕まれ限界にいると、何が正しいのかの判断が難しい。
心を強く。
揺らがない信念を鍛え、自分で自分を守(護)って生きる。心を強く、鍛え続ける。
僕は、今日も生きる。
心を強く、鍛え続け、今、この瞬間を、生きる。
今日も生きる。
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