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前兆
春、晴天。
時刻は13時32分。
今日は日曜日だが、春休み真っ只中の俺にはあまり関係がない、気がする。
ここから10分程度歩いた所に、今のバイト先がある。固定シフトのため、いつも通り速くも遅くもない足取りでバイト先に向かう。
今日も今のところ概ね順調。
人通りの多くない1本道の途中で、『ZAKKAYA』という名前に捻りの欠片もない、見慣れた看板が目に入る。俺のバイト先だ。
店のネーミングセンスはさておき、店内の黄色い照明や、オシャレすぎない雰囲気は俺の好みで、自分史上最も長期間世話になっている勤務場所である。
ここには従業員専用の扉はないので、いつも通り、来客用の自動ドアから店内に足を踏み入れる。今日同シフトのパートの村田さんは、今は会計中のようだ。村田さんと目が合ったが、お客さんの対応をしているので、挨拶はその後にしようと思った矢先、その客は袋をぶら下げて帰って行った。
「ありがとうございました~」
「おはようございます、村田さん」
俺は微笑む。
「おはよう~、日雅くん」
村田さんらしい、ふわっとした声だ。どうやら語尾を伸ばすのは癖らしい。
「そういえば、店長からさっき電話があったんだけど~、いまからここに顔出しに来るって~」
「そうなんですね、分かりました」
俺は笑顔で言うと、いつも通りバックヤードへ向かった。
バックヤードにてPCで勤怠をつけ、上の服を着替えると、指定のエプロンをつけながら村田さんのいるレジカウンターへと向かう。
「お疲れ様です」
「は~い、お疲れ様~。じゃあレジ銭の確認しよっか~」
「はい」
誰かとレジ番の交代をする時は、必ず『売上+釣り銭』と『レジの中の金銭』が合っているか、2人以上で確認しなければならない。
村田さんは仕事が早くて正確だ。しかし、今日はいつもに比べ少しスローペースな気がする。それにどこか顔色も悪いような……。
「村田さん、大丈夫ですか?」
「え?」
「体調あまり良くないように見えたので」
俺がそう言うと、村田さんはへらっと笑った。
「大丈夫だよ~。ありがとうね」
どうやら俺の勘違いだったようだ。少しお節介だったかもしれない。
……とりあえず、早いとこレジ銭確認を済ませてしまおう。
「……あれ」
村田さんと声が重なり、目を見合わす。
一度しか点検していないのでまだ定かではないが、500円以上の差額が出ていたのだ。それから2人でもう一度確認してみたが、結果は同じだった。
「あれ、なんでかな~……」
珍しく村田さんが焦った顔をしている。さっきまでのレジ当番は村田さんだったので、この差額は彼女が出したということになる。
「あ〜あ、店長に報告しなきゃ~……、じゃあ次レジ番お願いね~」
落ち込んでいる様子の村田さんからレジの鍵を渡された。
「はい、承知です」
10程年下の俺からの励ましなど村田さんは求めていないだろうが、こんな時に気の利いた言葉が1つも思いつかない。
しかし……おかしいな、いつもならこんな間違いする人じゃないんだけど……。
少し疑問に思ったが、村田さんも人間なんだからとすぐに思い直し、俺は自分の作業を始めた。
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