表情

6/23
前へ
/75ページ
次へ
 閉店作業がすべて終わり、あとは帰るだけとなった。  陽花くんとは、XX駅でお別れだ。そう考えると、なんだか心にぽっかり穴が空いたみたいだ。俺はいつも通り、勤怠を切るためにPCの画面を開く。 「退勤……送信っと! お疲れ陽花くん! 帰る準備出来たら声掛けてくれるかな」 「あ、はい! あの……準備出来ました」  真っ直ぐ見つめてくる陽花くんの眼は、強く気高く、そして綺麗だ。その吸い込まれるような瞳は、こちらの意思では逸らすことができないと思わせるほど。……今酒入ってないよね? 何考えてんの? 俺。……というか今なんて言った? この子、もう準備出来てるって……。 「早いね?! ごめん、ちょっと待ってて」  てっきりまだまだ時間がかかると思ってのんびりしていたので、着替えも終えていない。急いで着替え始める。  そういえば陽花くんは仕事中と同じ、白いカッターシャツのままだ。いくら最近暖かくなってきたとはいえ、4月上旬なのでまだ随分と冷える。そんな薄着で寒くないのだろうか。  沈黙の中、1人でゴソゴソ着替えるのも気まずいから、何か話そう。 「陽花くん、服そのまま帰るの? 寒くない?」 「あ、この下ヒートテック2枚着てるので大丈夫です」 「ん? 2枚? ……えーと、そっか! 荷物持ってないけど、いつも手ぶらなの?」 「はい。あ、でもスマホはケツポケットに入れてます」  ほら! とスマホを出して見せた。本当に可愛らしい子だな。 「なるほどね」  笑おうとしなくてもなぜか勝手に笑顔になってしまう。そうか、陽花くんといると、俺、楽しいのか……。 「よし、ごめんお待たせ! じゃあ帰ろっか」  外に出ると、店の鍵を閉める。いつもなら、ここで村田さんに挨拶してお互い別方向に歩いて行く。でも今日は何もかもが違う。 「うわ……結構降りますね」  陽花くんから話しかけてくれた……? いや、人は話すことが無くなると天気の話をするらしいし……、あまり期待しないでおこう。 「そうだね、この雨の中歩くの嫌になるよね~。……じゃ行こっか。お隣どうぞ」  いつどこで買ったのか分からない、1人用のビニール傘を開く。 「すみません、お邪魔します」  そう言うと、陽花くんはペコリとお辞儀した。
/75ページ

最初のコメントを投稿しよう!

75人が本棚に入れています
本棚に追加