前兆

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 あれから1時間程経っただろうか……。  店内のお客さん全員が反射でビクッとするほど、「ガシャーン!」というガラスが砕け散るような、大きな音が店中に響き渡った。親から離れた小さな子供が、誤って商品を落としてしまった……、というところだろう。もしそうだとして、その子供が怪我でもしていたら面倒だな……。周りの人達に気付かれないくらいの小さな溜息をつき、簡単な掃除道具を手に、俺は音のした方向へ歩いていく。  しかし、次の瞬間目にした光景は俺の想像と遥かに違っていた。  床に粉々に散った、大量のガラスの置物だったものの傍には、村田さんが横たわっていたのだ。 「村田さん!」 「お疲れ様で……」  俺が村田さんに駆け寄ったのと、店長が店に入ってきたのはほぼ同時の事だった。 「え?! 村田さん!!」  店長も村田さんに気付いて駆け寄る。  俺は今まで大きな病気や怪我をしたことがない。なので、病院と俺は交わることの無い、平行に進む2本の線のようなもので、病院に通うことや救急車を呼ぶ行為は俺からすると未知の領域なのだ。 「日雅くんはお客さんの対応頼めるかな? 村田さんのことと、ここの掃除は僕に任せて」  店長はどうすれば良いのか分からないという俺の様子に気付いたようで、普段よりもハキハキと口早に話した。  店長の第一印象は、小柄で地味で、あまり頼りにならなさそうだ……、とかなり失礼なことを思ってしまったが、これまでのことや今、この状況を見ても分かる通り、本当に頼りになる存在だ。 「分かりました」  今は俺も、俺のやれることをしよう。お客さんが減ってきたタイミングで、もう一度様子を見に行くか……、そう思いレジカウンターのほうへ戻る。すると、そこにはかつて見たことの無い、長蛇の列が出来ていた。サッカー応援を呼ぶことができないので、その光景を目にしてやる気が無くなりそうになったが、今はそうも言っていられない。余計なミスをしないよう、いつもよりゆっくり慎重に作業しようと決めた。  先程までの長蛇の列は、最後尾がすぐそこに見えるくらいまで終わりに近づいていた。やっと落ち着いてきたな……、そう思った時、指定のエプロンをつけ忘れているであろう店長が隣に立った。 「日雅くん、お待たせ」  俺だけに聞こえるように、ヒソヒソと言って笑った。  ここに来てくれたということは、村田さんのことはもう落ち着いたということだろうか……。  列の最後のお客さんを見送ってから、店長が申し訳なさそうな顔をして口を開いた。 「ごめんね日雅くん、もう少ししたら僕、他店舗行かなきゃいけなくって……」  店長は兄弟店も数店掛け持ちしているため、多忙な人だということは重々知っている。店長がここを出てから閉店時間まで、今日の店番は俺1人ということだろう。昨日、天気予報で昼から天気は下り坂になると言っていた。この店は、雨になると極端に客足が減るので、心配はいらないだろうけど……。 「だから、もう一人のバイトの子に頼んで、今向かってもらってる」 「え?」  どこまでも完璧な人だな、この人、……エプロン付け忘れるけど。 「多分30分もしない内につくと思う」 「店長いつ頃出なきゃいけないんですか?」 「今から来てくれる子の顔見てからかな~、確か日雅くんの2つ下だったかな……仲良くしてあげてね」 「はい」  店長が仲良くしてあげてというくらいだ、ひょっとしたら相当臆病な子なのかもしれない。店長がそういうのなら、俺も優しくしてあげよう。ここには長い間お世話になっているが、自分より歳が下の子と一緒になるのは初めてだ。  どうやら俺は、柄にもなく少し楽しみに感じているらしい。
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