episode.1

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 「馬の癖に舌打ちしやがった!おま……一々揚げ足を取るんじゃないよ」  再びやり込められた少年が抗議の声を上げる。    馬と呼ばれた――荷馬車を引くには立派過ぎる体躯の、長く美しい鬣を風に戦がせる銀灰色の馬がその台詞につと歩みを止め蹄で地を掻いて応じた。  声の主はこの馬である。名はグラニ。  天上アスガルドに住まうと言う神々の王、オーディンの愛馬スレイプニールの仔と称する人の言葉を話す馬である。ジークはこの無二の相棒を大切に思ってはいるのだが、少々、いやかなり押しが強い点に関してこの限りではない。  「馬ではない。名馬だ。あるいは駿馬。神々に愛されし……」  「……駄馬が」  「聞こえているぞ、『ファーヴニル』」  ぼそりと呟いた言葉も即座に拾われたが、少年は反論せず周囲へ素早く視線を走らせると、最後に己の様子を窺っていたジークへ軽く顎を引いた。    微かに轍が残る曠野の一本道である。いくら起伏に富んでいるとはいえ、近くに人が隠れるような場所も無かったが、ここにはグラニ同様、人語を解する『人成らざる者』も存在している。  「……その名を呼ぶなと言ってあるだろう、グラニ。お前の大事な御主人様を危険に晒したいのなら止めないが、少しは自重してくれ」 「何故、誇り高き我が主の名を呼ばう事まで一々憚らねばならぬ」 「それ、説明しないと駄目か?」  少年――ファーヴニルは額に掌を遣った。   はずみで頭巾が肩へと滑り落ちる。    癖のある烏羽色(からずばいろ)の髪がふわりと風に舞った。愛嬌が先に立つ面差しは変声期を過ぎた少年としては童顔と評される部類に入るだろう。だが、指の間から覗く人に非ざる深赤色の双眸だけが別の生き物の様に冷徹な光を放っていた。  「じゃ、聞くが。ミスガルドを救った竜殺しの英雄は今、何処に居る?」  「……」  「ミスガルド中のどの国の玉座にも就かず、英雄の名に相応しい身分や称号を得た訳でもなければ巨万の富を懐にするでもない。誰も、この英雄譚の真の結末を知らないのさ」  「それは…貴様が……」  「確かにあの日、谷底に墜落した此奴を引き上げたのは俺だ。ついでに優しく介抱してやったのも、な。いやいや、骨が折れたねえ。何せ此奴ときたら満身創痍で指一本碌に動かせなかったんだから。だが、別段隠していた訳じゃあない。そもそも、一度として『竜殺しの英雄』シグルドの生死を確かめに来た奴はいなかったんだからな。ブルグラント王の手の者でさえもだ。それこそグラニ、お前が三月前に此処へ辿り着くまで、誰もかの英雄の行方を知ろうとすらしなかったなんて実に可笑しな話じゃあないか」  「……ニル、ファーヴニル」
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