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古いビルは昭和の影を色濃く残し、狭いエレベーターはそれでも当時はハイテクだったのだろう、二台並んで稼働している。
入り口は石造りの凱旋門のようなのがお出迎え。二十四時間付きっぱなしの蛍光灯は、周りのビルよりも薄暗い。エレベーターを待つ人、待つ時間がもったいないと遠慮するように俺は階段を使い三階へと向かう。
天井の低い圧迫感のある狭く暗い階段を大きなため息とともに一気に駆け上がった。
今時珍しい、一枚板のレトロなガラス窓が入った、ドア。
がたつく窓ガラスには今にも消えそうな社名、日日日報の文字。
開け閉めするたびにガシャンと言い、今にもガラスが砕けるんじゃないかというような音を出している。そのドアのノブもまた古い真鍮の金色のノブ、周りが古い木だし、ドアノブを支えている金属は釘でしっかり固定してある。引っ張って開けると、もう一枚ドアがある。
一気に流れ込んでくる人の声と機械の音、それと携帯電話の音楽や着信音、とにかくいろんな音がまるでオーケストラの音合わせの時のような耳をふさぎたく様な不安定な音で俺を入れまいとしている。もう、一枚のドアはばね式で、押すと戻ってくる。二枚の扉はズレて、中が丸見え。ただ向こうから出てくるのが見えるからここでぶつかることはめったにない。
ぐらりと体が倒れそうな錯覚を覚えた。
ダメだ、疲れ、ピークだ。
手をかけたのをおろし右に行くとそこにはずらりと並ぶ事務ロッカー。
灰色のずらりとたち並ぶロッカーがバタバタと音を立てている。
名前をたどりその一つを開け、周りを通り過ぎる人に軽い挨拶をしながら、荷物の整理、洗濯物の山、それを紙袋に押し込んだ。
俺みたいな、格好は少ない、ほとんどがワイシャツ姿。袖をまくり上げているのより半そで姿、ネクタイは緩めている。
出ていく時はちゃんとした格好でがもっとうだからね、まあ、俺は、写真を撮るだけだから、どんな格好しててもいいわけで。このくそ暑い中、ジャケットを持って出ていく人たち。
「おつ」
「おー」
この時間帰っていく人たちを妬ましく見る。
クーラーが効きすぎているのか、ぞくっとして長そでのワイシャツを羽織った。
バンと勢いよく閉めたロッカー。足は右側へと向く。ロッカーの間にぽっかりと空いた穴。それをくぐると、ものすごい人に圧倒される。
細かくグループ分けされた机の塊。
天井からは、二本の鎖の下に、各部署が書かれたものが揺れている。
俺の席は壁側左側、奥には、会議室があり、その前にあるコの字型に並んだ机の一つだ。
中央にはデスクと呼ばれる編集長の机と、でっかいテーブルがドカンとある。新聞が広げておけるだけのスペース、ここには何も置かないのだが、今日は原稿が広がっている。
自分の席には積み上げられた書類と足元には片付けられない写真が小さな段ボールに入って重なっている。隣人に邪魔にされない精いっぱいの仮置き場。
やっと座れる。
疲れたー。
椅子に全体重が吸い込まれていく。
電車の中ずり広告が並ぶ掲示板を横目に、ここ何か月、いや何年、いまだに納得のいくスクープの一つも満足に取れないでいる自分にあきれている。気がつけばさっき買ったばかりのたばこの口に使い捨てライターが収まるほど吸っていた。
「やっちまったな」
同僚に肩を叩かれた。
あー、男だぜ、まったく、なんにも何えよ、ガセネタつかまされたと嘆いてみる。
「しくじったか」
よしよしと頭を撫でようとしてあまりの汚さに、その辺の紙を丸めたもので、ポンと叩いて通り抜けていく人。わざわざせんでもいいのに。
はあと大きなため息。
手に持ったカメラの中、データーを見返さなきゃいけない。あとは、こいつが何もんかで、これも決まるんだけどなぁ。
指でわっかを作って覗いた。
中刷りの一番大きな見出し。
又アイツかー。
ため息も、くそッと思うこともなくなってしまうほど、スクープと言う物から遠ざかっている。スクープ次第でギャラの金額が変わる、まあ、ボーナスみたいなもんだ。
俺には運も何位もないとあきらめ、言われたことを淡々とやり過ごすだけの毎日。だから今のに賭けていたんだけどなー!ハ~。
新聞は作るけど聞屋とは違う。
聞屋とは俗称、三島由紀夫の小説でいわれたから言うらしいけど、俺達はあくまでも新聞記者。記者は文章を書く人たちが中心、俺はカメラマンで雑誌記者の方中心。新聞記者は文字かいてなんぼだし、俺達はいい写真撮ってなんぼ。昇給なんてあってないようなものだし、俺たちカメラマンは文字を書くことも少ないから、一発デーンと、ドーンといい写真撮ってそれで小銭を稼いでるってわけ。
パソコンに向かうも疲れた、マンションを張って五日、社に帰ってきて二日その繰り返し、部屋には二か月以上帰ってない。
仮眠室のベッドがもう自分のものとなりつつあった。
立ち上がり、その一角へ、〈みんなのものですちゃんと片付けましょう〉の張り紙が疎ましくて、一応きれいにして次に使うであろう野郎のために整理しておいてやってはいたが、今日も泊まりかな?俺って優しいよね。ぽんぽんと直した布団を叩いて。俺のスエットを置いておいた、お気に入りは使い続けたほうが楽だから。
気が付けば日付はもう次の日。
駄目だ、寝る。
だが熟睡はできない。
深夜でも入ってくる電話。
泊まり込みの連中がそれに対応する。
自然災害は待ってくれないからね。
寝たのか、寝てないのかぼーっとしたまま歯を磨き、顔を洗い、自分の椅子に座り直し、天井を見ながら、左右に回すと、ちらちらと俺のほうをじっと睨む顔が見える。
おはようございますの声が響き始める。
俺は大あくび。
パソコンの字も霞む。
「出来たの早く持って来い!」
デスクの声が頭に響く。
又あくび。
限界かも。
頭にはタオルを鉢巻のように巻き、耳には鉛筆。タオルには赤ペンが差し込んであるデスクの顔がちらちら見える。
忙しそうなのはわかるけど―、もう駄目だ!
この際、だめもとでいい、俺は立ち上がると周りの声に負けてしまいそうな声をだしてみた。
「頭パンクしそ、編集長(デスク)、俺、ダウン、帰る」
帰れねーよなと思いながらも言葉を待っていた。
何か一本でもはなしを挙げて行けと言われ、ラッキー。机の上に並ぶ茶封筒から前もって置いといたネタを選んで編集長(デスク)の机に投げ捨てるようにおいた。
ぱらぱらと中をのぞくように見る。
ダメだしされませんように。
ぎろりと睨む顔をこっちも睨み返した。あごがクッと上を向いた。頭を軽く下げ急いでベッドのスエットを抱え、ロッカーから、紙袋を急いで出すと、臭い体を引きずって家へと向かった。
時間は朝十時を回ったところだった。
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