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凝視していた訳ではないけれど、その様子を見て少し慌てた私に、女性はそんな言い訳で弁解した。
そんな涙ではない事は分かっている。指先で頬に付いた筋を拭い消すと、女性はもう一度同じ小説を開いた。今度は少し微笑みを浮かべながら、ちょっとだけ楽しそうに。
この時読んでいた作品は、私も以前読んだ事があった。
『ビオトープ』 七澤 アトリ
私が短編堂に通うようになって数日後、恋人の洋ちゃん以外のこの街の人達との関わり方に悩んだ頃、リタ君に勧められて読んだ作品だった。
確かに素敵な小説。初めての出会いや人間同士の関わり方を見つめ直すきっかけとなるような、良作短編である事は間違いない。
それでも。
彼女が読み終えた時に流した涙は、そういう種類の感動のものだったのだろうか。
今は穏やかな表情で『ビオトープ』を繰り返し読む女性を観察していたら、時間は既にバータイムに突入していて、私は慌ててリタ君にジントニックを注文する。
リタ君はどうして女性に『ビオトープ』を勧めたのだろう。
女性は、どうして『ビオトープ』を読んで、涙を流したのだろう。
女性の風貌や性格、雰囲気からは、『ビオトープ』が似合いのものだとは思えない。それでも女性はそんなヒューマンドラマに涙し、その様子をにこやかに見つめるリタ君も、何だか少し嬉しそうに見えた。
「バーテンさん? とても素敵な本をありがとう。もしよかったら、明日までこの小説、貸してくださらない?」
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