第一話 短編小説はそっと寄り添う

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 ああ。酸っぱいものを摂ろう。  酸っぱいものを身体に入れて、落ち着こう。  こんな不安も、酸味が溶かしてくれるかもしれない。  頭がそう考えるより先に、私のビーチサンダルは半地下の階段を下っていた。  降りた先で、真鍮メッキのお洒落な稲穂鈴の付いた洋風のドアが私を迎える。その横には、小さな看板で店名が掲げられていた。 「Cafe & Bar - 短編堂 -」  ……たんぺんどう?  Cafeだから、喫茶店だろうか。  窓は小さく店内も窺い知れないけど、外観はバーに近いような気もする。  奇抜な店名はともかく、黒が基調の洒落た外観は、大人な雰囲気を醸している。  イーゼルに立て掛けてあるボードには、営業中を示す「Open」の文字が書かれていた。  不意に、珈琲の香りが鼻をついた。目の前の重そうなドアの先から漏れてきているのは間違いない。  喫茶店だと確信して、私は扉を開けた。 「いらっしゃいませ」  店内に入ると同時、右手に並ぶカウンターの奥から若い男性の声が聞こえた。  白いシャツに茶色い前掛エプロン姿は確認できるが、お洒落な間接照明は暗めでよく見えない。 「あ、すいません、初めてなんですけど、いいですか?」 「いいですよ、お客様。お好きな席へどうぞ」  落ち着いた低音に僅かな高音が混じった、青年特有の微ハスキー。  私はそれに吸い寄せられるように、彼が指差すテーブル席ではなくカウンター席の一番奥、店員の目の前の場所を選んだ。
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