第一話 短編小説はそっと寄り添う

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「ここって、バーですか? 私、喫茶店だと思って入っちゃいました。お酒じゃなくてもいいですか?」  高めのスツールに腰掛けて気付く。  ツヤ消しの黒いカウンターには紙のコースター、目前にビールサーバー、壁の三段の酒棚は無数の洋酒瓶とグラス各種。  レモンティーください、なんて、とてもじゃないけど言えないような、そんな店の雰囲気だった。 「ええ。もちろん。お昼は喫茶店、ということになってますから」  くしゃっと目を細めた笑顔を見せながら、店員は私に注文を促す。レモンティーを。レモンスライスは別にください。酸味の欲求と店の雰囲気を天秤にかけ、私はそう注文をした。  さすがにここでレモンシャーベットを独りで頼んで食べる勇気は、私には無かった。  にっこりと微笑んで、店員は手際良く準備をする。  お洒落な金属製のティーポットから、大きめのティーカップに紅茶が注がれた。やわらかな湯気と、別の小皿に添えられたレモンスライスの瑞々しい香りが鼻に届く。 「美味しい」  私の手で酸味を加えられたそれは、もちろん脳ミソが溶けるような刺激的なものでは無かった。  お店の雰囲気のせいだろう。  快適に空調の効いた店内で、優しく喉の渇きを潤わせたかったのだと思う。  ひと息ついて、尖った感情も情けない心境も、何となく落ち着いてきた。
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