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循環系統
「循環系統に異常は見られません。光学センサーによる目視、非破壊検査、自己診断機能すべて正常」
鋼鉄の蜘蛛が点検口から戻ってきた。多脚戦車の躯をまとった撫子は頼もしい。「ありがとう。はい。クールダウナー」
びしょ濡れの彼女にチューブを渡す。フワッと人間の形をした水蒸気が離れ虚空に像を結ぶ。
「まったくいい気なもんよね。リィンは人の苦労に鈍感なんだから。お里が知れるわ」
相変わらず口が悪い。ただ撫子の言い分はもっともだ。総延長二十キロ近いダクトの点検はチューリングテストに合格した知性に十分な苦痛を与える。そして私は冷凍睡眠から醒めたばかりで体力がもたない。
「ごめんなさい。私に出来ることはしておいたから」
多脚戦車のリアルタイムログから「模範解答」を除去した。するとAIに視えない人間特有の動物的勘が疼きだす。弾かれたデータは想定問答集の閾値から大きく外れている。なかには撫子の巨体自身に由来する異常もあるがノイズとしてフィルタリングできる。
「どぅお? 変なものがみつかったでしょ」
撫子はポニーテールをほどき肩にかかる髪をいじっている。こういうマウントが憎めない。
「あった」
私も見つけた。それは招かれざる客にして不法密航者だ。
幸か不幸か冷たい方程式を組み立てるまでもない。
顕微鏡ホログラムがみるみるうちに拡大して半透明な怪獣となる。
「Synchaeta triphthalma」
「ヒトツメフサウムシ!」
二人同時に海洋プランクトンを言い当てた。何だかおかしくなってしまう。ジャルボノー探査に必要な知識は二人とも刷り込み済みだ。どんな海洋生物でも脊髄反射で言い当てる。
ひとしきり笑ったあと「何だかバカみたい…」と撫子がこぼした。
「そうよね。いがみ合うたびに似た者同士の絆を深めてきた」
二人の間に名状しがたい沈黙が横たわる。
「…海の星に降りるんだよね…?」
避けることのできない現実を思い知らされる。撫子は大気圏内で運用する仕様になっていない。メッセンジャー号の基幹システムだ。
「リチャードローズ作戦はこの航海のかなめよ。私抜きではありえない」
この件に関しては十代の終わりから何度となく話し合ってきた。惑星シャルボノーの海に幼馴染は降りることができない。撫子はパッセンジャー号前方から漏斗状に広がる電磁フィールドを支える主要制御装置の能動端末として要件定義された。選抜メンバーの思春期をともに過ごし多感な情動を克明に記録し共感モデルを構築する。そして船がGJ1214星系のはずれで爆発するとき「想定されるであろう乗員の喪失感」をフィードバック学習するよう計画されている。
別離は想定されているのだ。
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