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「やっぱりこれ、僕に合ってない気がするんだけど。」
渋谷にも夕暮れが訪れる。繁華街が橙色に照らされて、これから夜にかけて盛り上がっていく下準備のように思えた。平山は革のジャケットを摩って困惑している様子だったが、それを塗り潰すように三谷が言った。
「たまにいるだろ、ファンキーなおじいちゃん。そんな感じだよ。巣鴨で買えるか?」
「いやまぁ…せめて赤パンツくらいじゃない?」
全身を黒で統一した平山のTシャツには青い蛍光色で照らされた髑髏がプリントされている。ハーフパンツにレギンスを合わせ、キャップはそのまま目深に被っていた。
「似合ってると思うよ。」
「ほら。杉村だってこう言ってるんだから。」
街灯がぽつりぽつりと照り始める。人工的な灯りに照らされて平山は少し笑ったように見えた。
人通りから抜けて、4人はファミリーレストランに入った。窓際のボックス席に腰掛けて注文をした。杉村の隣には未だにキャップを被ったままの平山が座っている。彼はトートバッグから財布を抜いて何かを漁り始めた。
薬だった。
皺だらけの掌に白い錠剤が転がる。それを迷うことなく口の中へ放り込み、届いたばかりの水で飲み干した。真上を向く平山の鼻筋は鳥のように尖っている。一口でグラスを空にした平山は、杉村の視線に気が付いてから言った。
「糖尿病にならないようにさ。別に食後でもいいんだけど。」
これは当たり前の光景なのだろう。2人の前で三谷と長谷川は各々携帯の画面を眺めていた。
料理が届くと、3人の思い出話が始まった。茹でた豚肉にみぞれおろしのかかった和え物を口にして、平山は時折否定しつつもエピソードを話していく。誕生日プレゼントに2人から安物のシルバーカーを貰ったという話が一番傑作だった。
「でもあれ、結構便利なんだよね。結局普通の鞄より楽だったっていう。」
「俺らは正直ネタ半分で贈ったんだけど、こいつ妙に気に入っちゃってさ。遊園地にそれ持ってきたんだぜ?」
鯖の味噌煮定食を平らげ、杉村は笑った。和食レストランは比較的落ち着いているかと思っていたが、ファミレスとなるとどこも同じなのかもしれない。
平山がトイレに立ち、思い出話に区切りがついた。
「杉村、ちょっといいかな。」
突然真剣な声色で言うものだから、三谷を見て思わず固まってしまった。
「どうしたの。改まって。」
「もし今後トシと2人で遊ぶことがあれば、知っておいてほしいことがあるんだよね。」
そう言って携帯を掲げ、指の腹を画面に滑らせた。爪の先をガラスに当てて言う。
「あいつの鼻、尖ってるだろ。」
彼の言う通りだった。糖尿病予防として薬を飲んだ時の横顔、確かに鼻筋は高かった。
「鳥様顔貌っていう症状なんだ。あいつは少しマシみたいだけど、ひどい人は眼球が前に出るんじゃないかってくらい鳥に似るらしい。」
携帯が翻り、画面を見て杉村は絶句した。モノクロの写真の真ん中で初老の男性が写っている。鼻の頭は高く、皺だらけの皮膚から眼球が零れ落ちそうだった。追うように長谷川が言った。
「だからもし他の人に説明する時はそうやって言ってあげてほしいんだ。あいつ自分から説明するの下手くそだからさ。」
「それと、肌が弱いから紫外線に気を付けないといけない。俺ら夏なんて専らプールだからな。」
なるほど、と唸ってしまった。平山のことについて話す2人は幼馴染というよりも親のようだ。三谷は一度水を含んでから続けた。
「紫外線もそうだし、些細な怪我もそうだな。シンプルに治りにくかったりもするし。あとはそこから感染するとか。」
「絆創膏とか持っておいた方がいいかな?」
「いや。そこに関してはトシの親御さんが持たせているから大丈夫。でも、頭には入れておいてほしいんだ。」
思わず携帯を抜いてメモを立ち上げた。気を付けなければならないことを入力していく。
「悪いな、色々言ってさ。」
携帯を仕舞って三谷は申し訳なさそうな表情を浮かべた。杉村の横顔を、窓ガラスから差す車のライトが薄く照らす。
「気を付けるとまでは言わないけど、知っておいてくれないか。あいつの病気はきちんと説明しないと理解されないことが多い。人に言わなきゃおじいちゃんとして受け入れられるんだ。俺たちはあいつとずっと一緒にいるからそれがすごい悔しい。」
長年連れ添うと、悔しさが溢れるものなのか。杉村は長いため息を漏らした。ただ平山が病気だという上澄みだけを知るのではない。しっかりと中枢まで理解して責任も、悔しさも、全てを背負ってくれる。これが友情というものなのだろう。杉村はその一員に加わることに、どこか誇りのようなものを感じた。
「何、また3人で内緒話?」
トイレから戻ってきた平山は、暗い服装の中で皺だらけの笑顔を浮かべている。表情を切り替えた三谷は再び携帯を抜いてから言った。
「お前にどの赤パンツがいいかなって話。」
「僕あれ持ってないよ。」
「ねぇ、赤パンツって何なの?」
杉村の問いかけに、ボックス席で笑いが起こった。少し枯れた声で平山が言う。
「運が良くなるんだって。巣鴨にたくさん売ってるんだけど、あれ僕履かないからね。」
時間の経過を忘れ、4人は頭を空っぽにしながら笑った。1人だけが早く老いているだけで、それ以外は他の大学生と何も変わらないのだ。
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