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街路樹が禿げ、赤黒い落ち葉の絨毯も失せていた。本格的に秋から冬へ移ろいつつある季節はどこか空気が寂しい。拭いたばかりのグラスの中にいるようで、喧騒が頭の中で反響しているように思える。 大学の2階にはテラス席があり、次の講義を待つ学生が各々テーブルを囲んでいる。都会はどうも理不尽だった。森林を捌いて好き勝手鉄の塔を乱立させたにも関わらず、今度は隙間を縫うように緑を置きたがる。どこからか運ばれた細い木を背に、杉村は昨日購入したばかりの小説に目を通していた。 不倫を題材にした作品は手を出していなかった。この世界は矛盾していて、不倫のドラマが大反響にも関わらず、芸能人が一度不倫しただけで大罪のようにインターネットで磔にする。しかしこの世の中は取捨選択の繰り返しだ。パソコンのキーボードが反応しなくなれば買い換え、掃除機がゴミを吸わなくなったら買い換える。それが不倫の場合、たまたま人だったという話だ。 何に対しても愛情は芽生える。しかし様々な思い出が詰まった携帯に新たな機能が積み重なったなら、多くのユーザーが携帯ショップに駆け込むのである。愛情も季節と共に移り変わるのだ。 グレーのニットパンツが突如振動を始める。ポケットから携帯を抜き、画面の文字を見て少し思考が停止した。 『来週の土曜日、神楽坂に行きませんか。』 彼と2人でいることに関して、ストレスを感じるかもしれないという未来は見えなかった。三谷と長谷川から伝えられた前提条件のようなものも苦ではない。それでも何故かすぐに返事はできなかった。今何に対して連絡を怠っているのかすら理解できない。栞の代わりに挟んだ親指を風を受けたページが撫でていく。オーバーサイズの白いシャツが少し膨らんだ。 「こんな所にいたのか。」 いざ字を打とうとして、何故か杉村は携帯を隠した。畑中はコンビニで買ったであろうアイスコーヒーを片手に隣へ腰掛けた。 「経済論ダルいよなー、レポートやった?」 「いや、まだやってない。」 ニットパンツの太ももにつけた画面で平山からの文章が輝いている。妙に左手に力が入っていた。 「あーそうだ。これ行かね?」 携帯を抜いて画面に光を灯す。そこには先週日本で公開が始まったアニメーション映画のポスターだった。醜いと言われた化け物が少女と出会って友情を知る、ぬるりとした動きが特徴の作品である。 「池袋で来週の土曜日にやるんだけど。」 同じ言葉たちが杉村を挟んでいた。数年の付き合いである畑中と池袋へ映画を見に行くのか、つい先週知り合ったばかりの平山と神楽坂へ行くのか、単純な選択肢が頭の中に浮かぶ。数秒の間が空いて、言葉だけが漏れた。 「いや、来週は高校の友達と遊びに行くんだよね。」 何故嘘をついたのかは分からなかった。知り合ったばかりの男性との先約があると言えばいいじゃないか。その瞬間で杉村の頭の中で後悔と罪悪感が顔を覗かせた。 「マジか、じゃあ西川でも誘うかな。」 携帯を仕舞い、畑中は立ちあがった。また明日な、と付け加えてテラスから離れる。ガラスの向こうで彼の背中が消えていく。ぼんやりと眺めた後にようやく左手の力が弱まった。真っ暗な画面に再び光を灯して平山からのメッセージを表示させる。文字を打つスピードはいつもよりも早かった。 『いいよ、行こう。』 メッセージを返し、ページのめくれた小説に目を落とす。既に場面は飛んで主人公の不倫が妻にバレていたものの、何故か損した気分にはならなかった。
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