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山せみという店に入り、平山はせいろ蕎麦を注文して、杉村は鴨南蛮を頼んだ。2人で分け合おうと刺身の盛り合わせも注文したためか、平山は途中で少し苦しそうな表情を浮かべながら蕎麦を啜っていた。 店を出た2人は通りを抜けて路地に入った。平山曰くこの神楽坂という街はその昔関東大震災で灰燼と帰した東京の中で、運良く焼け残ったらしい。さらに東京に溢れる坂の中で一番早く舗装をしたのは神楽坂だそうで、震災の翌年に東京の技師が坂の都市と呼ばれているサンフランシスコへ視察に行き、木煉瓦で舗装された坂を見てそれを真似たそうだ。しかし裏通りは舗装されておらず、泥や土が木煉瓦に付着して汚れが目立ち、雨が降ると滑った。そのため御影石を煉瓦型に切り取って舗装し直したという。 「昔は今よりも急な坂道だったらしいんだけど、舗装する度に頂上のあたりを削って調整するものだから、今じゃこんなになだらかになったんだって。」 彼はどこか嬉しそうに、空を見て言った。 「なんか、嬉しそうだね。」 「そうかな?」 笑みを隠すようにして平山は俯いた。視線の先でどこか照ったような黒い畳が並んでいる。小料理屋の隙間で彼は優しい声のまま続けた。 「僕さ、歴史が好きなんだよね。今自分たちが使っていたり、目にしていたり、あるいは今こうやって踏んでいる地面。それがどういう経緯で作られてこの時代まで残っているのか。人間が時代を経て残るなんて、一握りじゃん?きっと僕は次の時代に語られることはないんだなぁって思うと、人は案外表立って無理しない方がいいのかもって。」 突然彼が遠くに行ってしまう感覚がして、杉村は慌てて口を挟んだ。 「どういうこと?」 「きっと人って裏方なんだ。今誰かが城を建ててそこに人が集まっても、建てた人や住んだ人は語り継がれない。建物だけが脈々と続いて前時代の遺産になる。どういう目的で作ったのか、何を意味していたのか、そんなことは皆死んじゃってるから誰も語ることができない。どれだけチームになって仕事を頑張ったとしても、それが次の時代で当たり前になれば誰も起源を知ろうとしないんじゃないかな。もうとっくにあったものとして処理されて、探られない。寂しさを受け入れていかないと、人って疲れちゃうよね。」 薄暗い路地の上、抜けていく青空を見上げて平山は呟く。風のように優しく撫でる言葉が消えていくようで悲しかった。こちらの視線に気が付いたのか、杉村を見て彼は笑った。 「なんか、僕が言うと遺言みたいだよね。もうちょっと文章練った方がいいかな。」 彼の何気ない冗談が胸に深く突き刺さって、離れなかった。
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