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~香の彼氏~
十月。
残暑から解放されたかと思いきや、逆にクーラーが効きすぎた部屋のような冷風が吹きつけるこの季節。
独特な音が鳴り響く改札を行き交う人々は、ICカードを握ったままポケットに手を突っ込み、そのまま駅を足早に通り過ぎていった。
俺もまた冷えた風に身震いし、まだかまだかと腕時計を見た。
十時四十五分。まだ少しだけ時間がある。
どうして俺は寒い季節に「駅前の柱の前で集合」なんて言ったのか。
すぐ近くに隣接したデパートがあるのに入れないもどかしさに体を小さく揺すった。
それでも暇を持て余していた俺は、徐に上着のポケットからスマホを取り出した。
お相手は二十五歳、女性。菊谷香(きくやかおる)。入社三年目の会社員。
彼女とはマッチングアプリで出会った。犬より猫派。趣味はテレビゲーム。ハマるとそればかりやり込んでしまい、時にはご飯を食べないで一日中やっていたこともあるらしい。
彼女は、家事や料理はあまり得意な方ではない。掃除は週に一回、まるく掃除機をかけるだけ。洗濯物は籠に山が出来て溢れかえったらする程度。冷蔵庫や冷凍庫はほとんど空で、いつもコンビニやスーパーでお弁当を買っているそうだ。最近スーパーの方が安いことに気が付いた、と少し自慢げに話してきたが、自分で作ってみる気はないのだろうか。
大抵二人のデート先は遊園地だった。わくわくすることが好きな香は、絶叫系アトラクションを好んで乗っていた。俺も乗れないこともないが得意ではない。どちらかと言えばゴーカートのような自分で操縦できるアトラクションが好きだった。それを見かねた香は、一度バーチャル遊園地に誘ってくれたことがあったが、あの時はとても盛り上がった。
こうして出会ってから三年が経ち、遊園地デートもお家デートも両手で数えるくらいになった頃、彼女の方からプロポーズされた。しかもサプライズで友達を集めてフラッシュモブ。彼女自身、実際やってみると周りの人が思いのほか集まってきて恥ずかしかったんだとか。でもそれ以上に男はもっと恥ずかしい。本当なら俺が膝ついて「結婚してください」って台詞を言うはずなのに立場が逆だから。男たるもの、恥ずかしい。でも、普通男がそれをするでしょ、という概念関係なしに行動に移す彼女を、俺は心の底から尊敬するし、彼女のいい所だと思っている。勿論返事は言うまでもなく「はい」である。
こうして今日。結婚式当日を迎えるべく、品川駅で待ち合わせしていた。
「やぁ! お待たせ!」
後ろからトン、と押されて慌ててスマホから顔を離した。
ちょっと背が低いボブヘアの女性。ちょっと幼い笑顔が特徴の彼女は間違いなく香だった。
香は片手に持っていたスマホのロック画面を俺に見せてきた。
「よしっ! 時間ぴったりに着いたよ、ほら!」
確かにスマホには可愛らしい三毛猫の画像と共に、デジタル時計が十時ぴったりを示していた。
やっぱり香って、変わってるな。
俺はクスッと笑い、優しく香の頭を撫でて言った。
「十五秒遅刻だよ」
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