1人が本棚に入れています
本棚に追加
結婚式は親族も親友も呼ばずに二人だけで行う。
色々事情もあるが、結局のところ予算があまりなかったのが理由だ。
俺はただ婚姻届けを役所に提出するだけでもいいんじゃないか、と提案してみたが香は首を横に振り、このチャペルで式を挙げたいと言い張った。俺は勿論、彼女の意思を尊重した。しかも、どうやら香の中には既に結婚式のプランは出来上がっているようで、俺の手伝う余地はほとんど無かった。
俺は既に決められていた白いタキシードを着て、控室で待機していた。
部屋のスピーカーから薄ら流れるローテンポなクラシック。気持ちを落ち着かせるための音楽なのに、俺は何故かそわそわしていた。
初めての結婚式。しかもざっと式の流れを香から説明されただけ。でも不安があるわけではない。
ただ俺は「初めて」という言葉にビビっているらしい。
二十二歳の時、田舎から上京してきてから「初めて」の経験を数多くしてきた。
始めての電車、初めての一人暮らし、初めての仕事、初めてのバー、初めての彼女……。
最初こそ緊張した。でも初めてを体験してしまえば、後は慣れてしまう。慣れてしまえばそれが当たり前になる。
今回の結婚式も、二回目があったら普通になってしまうのだろうか。
すると三回ノックする音に続いて部屋の扉が開き、スーツを着た女性が入ってきた。
「失礼します。奥様のお着換えが終わりました。こちらにお連れしてもよろしいですか?」
奥様。その言葉に一気に目が覚めた。
そうだ。俺は新郎。香の夫になる人。気持ちを切り替えねば。
「はい。どうぞ」
俺は小さく笑みを浮かべて椅子に座り直す。
少しして香が入ってきた。白くてふわふわしたドレスの裾を両手いっぱいに抱えて。
「ジャーン! 可愛いでしょ」
そう自ら効果音を付けて、ゆっくりとその場で回って見せた。袖のない純白のドレスは全体がキラキラ光るようにラメが入っていて、背中が大きく開いているのが特徴的に見えた。
「似合うじゃん。エロくて」
「……さすが」
と、何か口にしかけたことを躊躇った。しかし香は思い直したように微笑むだけで言葉は続かなかった。
「新婦、入場」
大きな礼拝堂の扉が重々しい音をたてて開く。
この会場に同化してしまうのではないか、と思うほどに純白に包まれて現れた香は、この神聖な場所に君臨した天使のようだ。
香は一人、俺のもとにゆっくりと歩んでくる。表情はヴェールで隠れて見えにくいが、どことなく恥ずかしがっているように見えた。俺と香、そして祭壇の前に立つ神父しかこの場にいないせいか、ドレスが大理石のヴァージンロードにスルスルと擦れる音が大きく聞こえる。
俺の隣に立った香は、大きな窓から差し込む日の光に当てられ、より美しく見えた。
「では、誓いのキスを……」
聞きなれない牧師の話に耳を傾けていたら、あっという間に時は進んでいた。
お互いに向き合う。
香のラメでキラキラした瞼と、薄らピンク色のリップが塗られた小さな唇がギュッと緊張気味に閉じられる。
緊張しすぎでしょ。もっと肩の力を抜けばいいのに。
でも、そういう初心なところが可愛いんだよなぁ。
俺は小さくため息をつく。きっと香から見たら呆れたように見られるかもしれない。案の定、香は少し驚いたように目を開けた。
その瞬間、俺は香の両頬を片手で掴み、強引ながらも優しく自分の唇を近づけた。
時間にして数秒のキスだったが、二人の愛を確かめるには十分だった。
口をゆっくりと離すと、神父がパチ、パチと拍手してくれた。
我に返った俺は恥ずかしくなって、無意識に頭を掻いた。
一方、香はまっすぐ俺を見たまま動かなかった。
俺も香を見つめる。
香は清々しい笑顔で言った。
「愛してる、拓哉」
「……俺も」
最初のコメントを投稿しよう!