~香の彼氏~

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 無事に式が終わり、駅の近くのカフェで一息ついていたところだった。お互いコーヒーを片手に他愛もない世間話をする。  ちらりと窓を見る。  日も完全に落ち、高層ビルの明かりと車のサーチライトが目立ってきた。  腕時計は七時二十分過ぎを示している。  刻限だ。 「……時間、かな?」  香さんが控えめにそう聞いた。俺は首を縦に振る。  途端に香さんの表情が暗くなった。無理もない。でもこの時間を惜しんでくれることが俺にとっては嬉しいことだ。  香さんは少し考えたように、そっか、と小さく呟くとカバンの中から茶封筒を取り出した。  受け取ると中身を確認する。一、二、三……計五枚の一万円札が入っていた。俺はそっと自分のカバンにしまった。 「今日はいかがでしたか?」 「……最初は本当になりきってくれるのかな、って疑問だったけど、本当に拓哉だったんだからビックリしちゃった。流石、元俳優さん」  そう言って小さく拍手を俺に送ってくれた。  今まで何件かの依頼をされ受けてきたが、「演じてほしい」と頼まれたことはなかったので、ちゃんと「拓哉」に慣れていたか不安だった。  が、この目の前の笑顔を見て少し安心した。俺は素直に、ありがとうございます、と頭を下げる。  すると香さんはソファの背もたれに寄りかかり、深いため息をついた。 「あーあ、私の拓哉がいなくなっちゃった……」  二人の間に重い空気が漂う。  暫く沈黙が続いた。  カランカラン、と店の扉が開けられる音が聞こえてくる。 しかし人の声がほとんど聞こえない。夜の喫茶店とはこんなにも静かなものだろうか。 「今日のプランは全部、拓哉が考えたんだ」  先に口を開いたのは香さんだった。  俺は何も言うことなく、ただじっと見つめた。 「前に話した通り、告白したのは私からなんだ。でもね、拓哉は結婚式のプランを全て自分で決めてから告白するつもりだったんだって」 「……」 「そのノートを見つけた時は本当に驚いちゃった。……いつの間にか私のスリーサイズまで知ってたのよ」  可笑しいでしょう、ところころ笑った。  俺は彼女に微笑んで答えるが、内心は少し焦っていた。  知らなかった。そんなこと事前に聞いていた「拓哉」の情報には無かった。もしかすると俺の「拓哉」に少し不自然なところがあったんじゃないか。脳内で今日の出来事がグルグルと駆け回った。  一通り笑い終えた香さんはまた沈んだ顔をして、マグカップを両手で包み持つ。 「本当は、最後まで迷ったんだ。拓哉がいなくなったのに、一人で勝手に式を挙げて盛り上がっていいのか、って。元々どっちの親も私たちの結婚には反対してたし。……でも、私は拓哉のやりたかったことをしてあげたいな、って。私も拓哉の考えたこの結婚式をしたい、って。何度もノートを読み返して思ったの」  この仕事を始めてから、こうしていろんな人の話をよく聞く。当たり前だ。この仕事柄、こうした話は付き物だから。  しかし、未だに俺は迷っている。 「……私は本当に正しかったの……?」  この問いにどう答えたらいいのか、答えていいのか、分からない。  それは俺に向けられた言葉でもあるからかもしれない。  この仕事を始めてから何度も考える。この仕事をすることは本当に正しいことなのだろうか、と。  自問自答ならまだいい。どんな答えを出したって自分で傷つけばいいだけ。  しかし問題はそれが自分ではない、というところ。  香さんは拓哉の意思を彼女なりに組みながら今回の答えを導き出した。が、普通は相手が亡くなったら結婚の話は無かったことになる。さらに両親が反対されていたと言う。きっと彼らには彼らなりの理由があるはずだ。無視したわけではないと思うが、何か意思を汲み取ることは出来たのではないか。  結論が出ないまま、時間だけが過ぎていく。  香さんはいつの間に取り出した青いノートを手に持って見つめていた。よく書き込んだだろう、色とりどりの付箋が張られ、ノートの角が潰れていた。  あぁ、そうか。  彼女は本当に正しいことをしたのかは、俺は分からない。  でもその彼が書き残したらしいノートを見て思った。  重かった口をゆっくりと動かす。 「俺は、香さんが正しいかどうかは、分かりません」  その言葉に香さんの顔が曇った。それでも俺は「ですが」と言葉を進めた。 「香さんは拓哉さんのために何かしようと行動した。俺が拓哉さんなら、俺は嬉しいです」 「えっ……」  驚いたように目を見開いた。しかし、すぐに目がどんどん赤くなっていく。唇をぐっと噛みしめて、みるみるうちに目に涙が溜まる。遂に俯いて、震えた声で言った。 「……ありがとう、ございます」  香さんは、自分の行動が他人にどう見られようとどうでも良かったのだ。ただ拓哉さんにとってどうだったのか、一人でずっと考えて、悩んでいたんだ。  ただ、認めてほしかった。  許しが欲しかった。  ぽろぽろと流れる彼女の涙がその証拠だった。  これで少しは、人の心が理解できただろうか。 声を抑えて目をこすり続ける彼女に、俺は胸ポケットからハンカチを取り出して渡した。
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