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第1話 ハッピープロポーズ!
何事も準備が肝心だ。よく転ばぬ先の杖というではないか。
よく記念日に使うちょっとお高いお気に入りのビストロで、ふたりで子牛のミニステーキを食べ始めて数分経ったあたりで、駿が重い口を開いた。
「転勤することになった」
「どこに?」
「ドイツ」
とうとうこの時が来た。
大学時代に駿と付き合い始めてからはや七年、いつかはこの時が来ると覚悟していたのである。
葉乃子と駿が知り合ったのは大学一年生の春、入学してすぐの英語の授業でのことだった。クラス分けが受験時の英語の点数順で学科別ではなかったため、国文科の葉乃子と哲学科の駿が偶然机を並べたのだ。
当時の駿ははっきり言って冴えない男子だった。男子校出身の彼はどことなくもっさりしていて、分厚い眼鏡とぼさぼさの長髪と黒一色の服がトレードマーク、おまけにとってつけたように哲学書の話をする厨二病。だから同じクラスの女子はみんなぜんぜん相手にしていなかったし、葉乃子が彼から愛の告白を受けたと聞いた時は笑い転げたやつがいたくらいだ。
でも、葉乃子は感動したのだ。いかにも今まで恋愛経験なんかないですといった風体の彼が、いったいどれほどの勇気をもって葉乃子に愛を打ち明けたのか。
あの時の葉乃子は、中身は中学高校と吹奏楽に費やしてきたのでやっぱり彼氏なんかいなかったが、大学デビューのためにちょっとギャルっぽいファッションをしていた。暗めのピンクに染めた髪、ビーズでデコったネイル。かなり背伸びで少々無理をしてはいたものの、見た目がちょっと派手だったと思う。
繰り返すが、かなり背伸びで少々無理をしていた。周りの華やかな友人たちと比べると自分は中身が伴っていない気がして、おとなしい駿といるのは心地よかった。しかしついつい見栄を張ってしまい、試しに「付き合ってほしいならもっとちゃんとして」と言ってみた。今思えばとても意地悪な台詞だったと思う、反省している。
駿はまともに取り合ってくれた。葉乃子とふたりで「ちゃんと」するにはどうしたらいいのかとても真剣に研究してくれた。美容院に行き、コンタクトレンズに替え、雑誌で服装の研究をして――
見違えるイケメンに成長してから「やっぱり笑ってごめん」と言ってきた女どもとの交友関係なんてゴミ。
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