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強い力で、もうちょっとしたら潰されてしまうのではないかと思うほどきつく抱き締められる。落ち着く。潰れてしまえばいいのに、とさえ思う。それだけ密着していたらきっと怖いものは何もない。
「何があったんだ」
その声が少し怖くも聞こえて、逆に安心するのだ。この人は本気で心配してくれている。
「今日ね、大学まで行こうとして、街で迷子になっちゃって」
「大学? どうして」
「検索したらドイツ語学習のコースがあるって出てきて、通いたいな、と思って、申込兼下見に」
「ドイツ語学習のコース?」
声が強張った気がする。
「ドイツ語の勉強を?」
「うん」
「最近何かこそこそしてると思ったら、それか」
彼のシャツの背中をつかむ手に、力を込める。勇気が欲しい。絞り出せ!
「すごく不便だよ」
そのたった一言を言うためだけに、どれほどの時間と労力が必要だったことか。
「スーパーに入るのにもすごくエネルギーが必要だし、いまだに路面電車やバスには乗れないし、仁枝さんにはめちゃくちゃバカにされるし」
と口に出してから、自分は仁枝が嫌いであることを認識した。もう媚びないと固く心に誓った。
「迷子の件は、大学の近くで会った現地の人のグループに手伝ってもらいつつ、アイちゃんに励まされつつ、で解決したんだけどさ」
「どうして連絡をくれなかったのかな」
「仕事中じゃん」
「葉乃子と天秤にかけるはめになったら、きっとぶん投げてしまう」
あまりにも真剣に言うので、ついつい笑ってしまった。
「こっちは日本と違って家族を養うために仕事をしているという事実を言い訳にする人はいないよ。それが働く目的であることに変わりはないけど、優先順位はまず世界で一番大事なひとの身の安全でしょう」
じん、と胸が温まった。けれどここでなあなあにしてはいけない。
「いくらこの辺は治安がいいと言っても、どこもかしこもみんな安全というわけじゃないから。今日はたまたま解決したみたいだけど――」
「そういうのを回避するためにも、ドイツ語は身につけなきゃいけないと思いました」
顔を上げる。抱き合う腕が緩められ、お互いに目と目を見られるようになる。
彼はけして笑わずに葉乃子と向き合おうとしてくれている。
大丈夫だ。
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