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鼓動が高鳴るのを少女は感じた。それを押さえつけて、少女は屋敷へと近づく。細やかな装飾を施された白い門をくぐり、おそるおそる扉へと手をかける。ほんの少し力を加えるだけで、その扉は驚くほど呆気なく開いた。
「開いてる……」
鍵はかけられていないらしい。どうしようかと一瞬躊躇うも、ゆっくりと屋敷内部へ足を踏み入れる。すると、ピアノの音色はより一層鮮明なものとなった。穏やかで、ほんの少し悲しい音が、鼓膜を揺らし音の世界へと誘う。呼んでいる、そんな気がした。その導きに従って、少女は迷いを捨てる。
屋敷はとても大きく、人がたくさんいてもおかしくはない。そう思っていたのだが、歩みを進めても誰一人として出会うものはいない。名画と言われるような絵画や、趣向を凝らした彫刻。見たことのない文様の描かれた花瓶など、多くの美術品が飾られているが、どれも手入れが行き届いていないようで、汚れやほこりが目立っていた。
そんな様子を不思議に感じながらも、ただただピアノの音を目指して進む。どきどきと、高鳴る心音がたゆたうメロディと重なって心地よいリズムを刻む。この先になにが待ち受けているのか、心は逸る。しかし不思議と不安はなかった。
やがて、少女はひとつの扉の前へと辿り着く。
「ここ、よね……」
装飾の少ないシンプルな扉は、淡雪が降り積もったような純白で塗られている。唯一金色に輝くドアノブに手をかけると、ひんやりとした感覚が指先を伝う。まるで本当の雪のようだ。そう感じるのと同時に、ドアノブを握る手のひらが迷う。
勝手に入って良かったのだろうか、今更そんな考えが脳裏に浮かぶ。扉を開けて本当に良いのか。この先に待つ邂逅のその意味を自身の心に問う。
目をつむり、ゆっくりと息を吸い、吐く。ここまで歩いてきたのは自分の意志だ。引き返すわけにはいかない。
ゆっくり目を開き、手のひらの力を込める。キィ、と小さな音とともに扉が開いた。
旋律。
やさしい、やさしい音楽。懐かしいメロディーが少女を出迎える。
部屋にあるのは一台のピアノだけ。星のない夜空のような、ゆるぎない漆黒。それに寄り添うようにひとりの青年。白く細い指先が、鍵盤の上で踊る。それにあわせて、暗闇の空を彩る星々が生まれ、輝き、満ちてゆく。黒鍵が跳ねる。音が紡がれる。ゆらめきに合わせて、長い銀色の髪が揺れる。
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