28.テンポ・ルバート

48/53
前へ
/553ページ
次へ
 あの日、うららかな日曜日の朝。崩れた馬車に押しつぶされてルバートの命は絶たれた。    事故を起こした荷馬車は市場に並ぶ商品を運んでいた。通常であれば朝市が始まる前に荷下ろしを終わらせているはずの荷馬車は、その日は時間を大幅に遅れて町へとやってきた。  朝市に間に合わなければ、積み荷は無駄となり大きな損失を生んでしまう。長年契約してくれている雇用主の信用にも関わる。御者は焦っていた。遅れを取り戻すため、通常の運行ルートではなく、ショートカットとなる細く狭い道を選んだ。その結果、事故は起きた。  細く入り組んだ小道の多いこの町では、多くの荷を積む馬車は必ず道幅の広い大通りを走るように定められている。通行人や馬車同士の接触を防ぐためだ。しかし時折、時間に追われた御者やルールを知らない遠方からの馬車が誤って悪路を選び、取り締まりにあっている。馬車が時間を遅れることもままあることだ。道路状況や運転手や馬の体調、意図せぬアクシデントは起こるもの。それによっては、決められた時間を過ぎてしまうという事態も起こりうる。  現にあの日の前日、荷馬車の出発地である隣町で大雨が降り、倒木が発生したという情報もあった。道路状況の悪さが、時間の遅れを生んだのだ。さらに不運なことに、御者本人の体調も思わしくなかった。前日の夜、かなりの酩酊状態に陥っていたらしい。事故当時もその酒が抜けきっていなかった。運転中の注意力が散漫になっていた為、正常な判断ができなかったのだ。毎朝欠かさず実施していたという車両の点検整備も怠っていたという。その結果、御者は荷馬車の後輪を止めていたねじがわずかに緩んでいたことに気づかなかった。  御者、車両共に万全ではなかった荷馬車が、悪天候によって生じた遅れを取り戻そうと普段は使うことのない悪路を猛スピードで走った。不幸にもその先に、彼女は居合わせてしまった。  ひとつひとつはありふれた過ち。しかし、それらが積み重なった不運の果ての悲劇――現場を検証した警察たちによって、あの事故はそう結論づけられた。重大なミスを犯し、無辜の民の命を奪った罪に問われ、運転手は処罰された。  これが記録として残された、あの日。  記された文字のすべては紛れもなく確かな事実。  しかし、書き記された結論からは、不自然なまでに一つの視点が抜け落ちていた。  事故を起こした本人、御者自身の事情である。
/553ページ

最初のコメントを投稿しよう!

29人が本棚に入れています
本棚に追加