29.月影オーバーチュア

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 ぶるりと身体がふるえた。ミレイの言葉がどんなものであろうと受け止める覚悟でいたというのに。空を揺らし、鼓膜に届いた言葉は確かに自分の知っているものだった。しかし、それは遠く、自分の知らない世界の言葉であるかのように馴染まない。すぐには理解できない。理解を拒んだ。 「ラグが残したものの中に書きかけの新聞記事があった。そこには彼が調べ上げたバルフリーディアの秘密が、それを明るみにせんとする意志が記されていた」  冷え切った世界の中で、淡々とミレイ声だけが響く。その瞳の奥に灯る光。ほの暗く燃える青、重く深い決意。その光は混沌に蝕まれた心を鎮めるように、静かに揺れていた。 「はじまりは三十年以上も前のこと。首都の周辺で音楽家の不審死が相次いだ。一見すると事故や自死としか見えない死因は、実は第三者による殺人だった。最初の被害者は三人、その皆、当時実力をつけていた有望な若手たち。奇しくもこの時期は、アイザック・バルフリーディアの才能が世に認められ始めた時と重なっていた」 「……アイザックが、自分がのし上がるために邪魔な人間を殺していたっていうことか?」  イクシードの声は落ち着いていた。彼もまたミレイの話に少なからず動揺を覚えていたようではあったが、いち早く平静を取り戻していたようだ。 「残念ながら、そんな単純な話じゃないの。結果として、すぐに犯人は見つかった。アイザックとは全く関係のない、首都周辺に住む売れない音楽家だった。アイザックが疑いをかけられることもなく、あっさりと事件は幕を閉じた。けれど、それでめでたしめでたしっていうわけではない。事件の記録によれば、犯人の動機は恨みと妬み。貧しい身の上、さらには才能もない。そんな音楽家が才能ある人間への嫉妬心に狂う。まあ、わかりやすい話よね。捕まってからはあっという間、男は問答無用に極刑を言い渡され、一月とたたず刑が執行されたわ」 「待て。それはあまりに早すぎないか? 犯人の言い分もあっただろうに」 「そうでしょう? まるで本当の犯人がすべての罪を押しつけて、その口を塞いだまま、一刻も早く闇に葬り去ろうとしてるみたい」 「その本当の犯人が、アイザックだと。…………事実なんだな?」
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