1.放浪少女とピアノソナタ

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 それはまるで音の洪水。ピアノの唄は次第に力強さを帯びていく。とめどない音が流れて、少女を引き込む。高らかな唄。魅せられる。心を奪われる。少女は目を閉じ、ただただ音の流れに身をまかせた。  遠い昔の情景。  なにもしらない、無垢な心を精一杯輝かせて走っていた。あの頃の記憶。見上げた夜空に瞬く、刹那のきらめき。  今はもう失ってしまった、遠い日々。けれど確かに心の奥底に残っている。忘れられない灯火。    ――ああ、なぜだろう。  ――どうしてこんなにも、泣きたくなるのだろう。  最後の一音、その響きが空を振るわせた。  唄が終わる。あまたの星が朝を迎える。水面に広がった波紋が静かに消えゆくように、世界が収束してゆく。 「お客様ですか? 珍しいですね」  終焉を迎えた音の余韻。それに浸っていた少女を、音が現実に引き戻す。  「!」  その音は声。凪いだ夜の海のように、穏やかな声だった。  どきり、少女の肩が跳ねる。気づかれないわけがないと、わかっていたはずなのに。鼓動は突然に脈を速める。 「わ、えっと……勝手に入ってすみません………音が、聴こえて。つい……」    緊張のあまり、喉が震えた。やはり、勝手に入ってきてしまったのはまずかったかもしれない。怒られるだろうか、そんな恐れを感じながら身構える。  しかし、青年が放ったのは少女の恐れとは正反対の言葉だった。 「いいえ。聴いていただけたのなら光栄です。ようこそ、いらっしゃいました」  青年はゆったりと微笑む。  突然やってきた侵入者に対して、警戒するでもなく。咎めるでもなく。彼はだだ、穏やかに微笑んでいる。 「え……?」  思わぬ言葉、反応に呆気にとられる。まさか、歓迎されるだなんて思っても見なかった少女は拍子抜けしてしまう。ぽかんと口をあけて、椅子に腰掛けたままの青年をみつめる。日の光に晒されていない、白い肌。すらりとした細い体躯。鍵盤に添えられた指先は、精巧な美術品のよう。長く伸びた銀色の髪はゆるやかな三つ編みにされ、肩口から胸のあたりまで垂れている。綺麗な人、それが少女の抱いた感想だった。   「それにしても。こんな屋敷にまでやってくるなんて。どういった御用件です?」  端整な顔立ちをくすりと歪ませて、青年は少女に問う。
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