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伏せられたままの瞳は、長い睫に覆われてその色は窺い知れない。しかし、不思議とすべてを見透かされているような感覚を覚える。嘘や偽り、それは少しの意味も為さない。ありのままを、少女は返す。
「えっと……ごめんなさい。特に用事とかはないんです。ただ、聴こえてきた音楽が、懐かしい気がしたから」
「懐かしい……? 不思議なことを言うんですね」
「呼ばれてるような気がして。変ですよね、こんな……。そんなわけがないのに。本当、ごめんなさい」
自分の言葉に嘘や偽りはない。しかし、言いながらそのおかしさを噛みしめる。自分は突然やってきた侵入者だ。ただでさえ怪しいのに、その理由もきっと、意味の分からないことだろう。泥棒だって、もっとましな話をする。自分の話を聞けば誰だって怪訝に思うだろう。不審に思わないわけがない。
「ふふ、変などとは思いませんよ。メロディというものは心の奥深くに刻まれるもの。あなたの覚えた感覚も、間違いではないのかもしれません」
目を閉じたまま、青年は笑う。水面が風に揺られるように。ゆったりとした息遣い。
不思議な人だ。
少女は思った。拒むでもなく、否定するでもなく。たゆたう水のように優しく包み込む。
しかしその瞳は少女を見つめることはない。閉ざされた瞼の奥に静かにその輝きを秘めたまま。そこに隠された色を覗こうとして、じっと見つめた少女の視線に青年は気付いたのだろう。そして、優しく歪められた口元がゆっくりと開く。
「僕の目が気になりますか?」
「あ、えっと……すみません」
「いいえ、謝ることではありません。誰でもはじめは不思議に思うのでしょう。この目は光を映しません。ですが、別段不自由はしていないのです。歩くことが出来る足があり、この手は音楽を紡げます。だから、それで十分なのですよ。あなたが気に病むことではありません」
変わらず微笑んだまま、青年は言葉を紡ぐ。とても優しい声。そこに微かに漂う寂寥、誰とも分け合うことの出来ない孤独の片鱗を垣間見て、少女はきつく唇を結んだ。
「そんな顔をしないでください。気に病む必要はないと言ったでしょう。……優しいんですね」
目には見えずとも、紡ぐ言葉に惑う少女の様子が解ったのだろう。凪いだ声は包み込むように優しい。
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