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1.放浪少女とピアノソナタ
もう嫌だ。こんな生活。
毎日毎日繰り返される同じこと、いつもいつも変わらない、何の変化もない生活。
押し付けられるだけ。閉じこめられるだけ。
そんなものはごめんだ。もう、嫌だった。
――だから私は飛び出した。
ガタン、ガタン。
揺れる列車の中、窓の外を見慣れた景色が行き過ぎてゆく。
誰にも言わず、こっそりと逃げ出した。くだらない毎日をやめたくて、それに甘んじる自分を変えたくて。
汽笛がなり、列車はトンネルへと進入していく。移り変わる窓の景色が、開けた草原から無機質な暗闇へと変化する。
見る景色がなくなって、少女は車内にぼんやりと視線を移した。
乗客は少なく、しっかりと前を見据える旅人風の青年と、目的地への思いを馳せる母子、そして自分だけだった。
きっとそれぞれ、いろいろな理由があって、目的があってここにいるのだろう。
窓の外は暗闇。楽しむべき景色もない。
手持ち無沙汰になって、少女はふと冷静になる。
――これからどうしよう?
感情と勢いに任せて飛び出してみたものの、この先のことは何一つ考えていなかったのだ。行くあてなんてどこにもないし、手元にあるのは数日分の衣服とわずかなお金。そして空腹しのぐためのパンがひとつ。
無計画にもほどがあった。本当に、思いだけで飛び出してきたのだ。数刻前の自分を馬鹿であったと思いはするが、後悔はしていない。
「行くと決めたんだ。行けるとこまでいかなきゃ……!」
金銭的に考えて、あと2つ町を越えることはできるだろう。そこから、程良いところで降りて、残ったお金で数日はすごしていけるはず。
――よし。
たどり着く先に不安がないわけではないが、少女の心中を占めるのは希望の方が大きかった。今後自分がどうしていくかは辿り着いた町で決めればよいだろう。働き口を見つけて、新たな生活をスタートさせるのだ。
可能性は広大な海のように広がっている。期待に胸が高鳴る。なんとなく、なんの根拠もないが、この先には光が広がっている。そんな確信があった。
列車がトンネルを抜ける。柔らかな光とともに、新しい景色が少女の瞳に飛び込んできた。
真っ暗闇を越えて、その光は祝福の歌声のよう。
希望に満ちた世界へ、少女は足を踏み入れる。
◆
『終点ー。終点です。御乗車ありがとうございましたー』
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