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フェリシアは細剣の切っ先を床へと突き立てて。
「『転移せよ、標はここに刻まれた』」
剣の切っ先から床へと拡がる紋様。
その紋様がもう1つの──10年以上昔に刻まれた紋様と共鳴した。
これは2度目の刻印によって効果を発揮するソードアーツ。
新たに刻まれた紋様のもとへ、すでに紋様を刻まれた対象を転移させる。
フェリシアの刻んだ紋様から放たれる目映い閃光。
次いでその中から影が躍った。
風切りと共に鞭のようにしなる黒い尾が。
そして赤熱する鱗に覆われた竜の顎がレディへと襲いかかる。
黒い尾の直撃を受けたレディは廊下の先へと吹き飛ばされて。
次いで激しい勢いで床に叩きつけられ、そのまま突き当たりの壁に衝突した。
竜の牙の餌食となったもう一方のレディは携えた巨大なハサミごと胸の下から膝までを噛み砕かれる。
フェリシアは自身を抱き寄せる腕を見た。
黒い鱗に覆われ、4本の趾を持つ魔物の腕がフェリシアの肩に添えられていて。
その顔を横目見たとき、真っ先に目についたのは血のように真っ赤に染まった眼球と、そこに不気味に浮かぶ青く発光する魔物の瞳。
その瞳がフェリシアに視線を返す。
もうそれがほとんど人の身体ではないとわかっていても。
フェリシアは伝わってくる懐かしい温もりに安堵した。
その眼孔に埋まった目が魔物の眼球だとわかっていても。
フェリシアはその優しい眼差しを見て泣きそうになる。
「お兄ちゃ────」
お兄ちゃんと呼びかけて。
だがフェリシアは首を小さく左右に振ると言い直す。
「黒の、勇者様」
「フェリシア、無事か」
レオンハルトがフェリシアに訊いた。
周囲を見回し、自身が城へと転移させられたのを理解する。
レオンハルトはフェリシアが握る細剣を見て。
「まだ持っていたんだな」
「大切な兄の、形見ですので」
「…………」
レオンハルトは静かにフェリシアの肩からその手を放した。
次いでフェリシアから1歩距離をとる。
「その剣の送り主は死んだのか」
「ええ。才無き者として家を追われ、力への渇望に飲まれ、そして魔物にその身を喰われてしまいました」
フェリシアはそう言うとうつむいて。
だが顔を上げるとレオンハルトへとまっすぐに視線を向ける。
「でも……助けに来てくれて、ありがとう。約束! 守ってくれて、ありがとう!」
レオンハルトとフェリシアのやり取りを聞いて。
「…………ふふふ。素敵ねぇ。家族の絆って」
「それに引き換えあの人は」
「己のために簡単にそれを捨てるんですもの」
「大した望みも願いもない」
「ただ王になりたい、だなんていう」
「ただそれだけの矮小な男だけれど」
「だからこそ『私』は彼と取引をしたの」
廊下の前後から。
壁に穿たれた2つの穴から。
何人ものレディが姿を現した。
そのうちの1人が胸から下を失ったレディを見下ろすとハサミを高々と振りかぶった。
次いでそのハサミを横たわるレディの胸へと突き立てて。
胸の奥の魔結晶の欠片が砕かれ、その身体が灰になる。
「自分同士を……殺したの?」
フェリシアはその光景に困惑の表情を浮かべた。
「当然でしょう?」
ハサミを振り下ろしたレディはそのハサミに寄りかかりながら言った。
その足で足元の灰をパッパッと払う。
「こんな醜い姿の私はいらない」
「弱い私は切り捨てる」
「より美しく」
「より強い私だけが残ればいいの」
周囲のレディが言った。
そしてレオンハルトの尾を受けて壁に叩きつけられたレディもその胸に巨大な切っ先を突き立てられて。
「私はすでに個にあらず」
「私が望むのは私という種の繁栄」
「その過程において個への執着などとうに捨て去りました」
「私が消えても他の私が残る」
「なら私が消えてもかまわないじゃない」
レディが次々に言った。
レオンハルトはそれを聞いて。
「……だから名前がないのか」
レオンハルトが周囲に群がるレディを見回す。
「個に執着をしない。だからそれを区別する名前に意味を持たない」
「ええ、そうよ」
「『レディ』は彼が書状で呼ぶ私の呼び名。麗しのレディ」
「そして馬鹿な男を王にする代わりに、私はこの国で繁栄する」
「ギルド機構の中枢に巣食う『書庫の魔人』と同じ」
「見返りのための契約」
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