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私の母は売女だった。いつも男を引っ張り込んでは金を無心している、そんな女。母親の喘ぎ声が私の子守歌だった。
「あんたなんか産むつもりなかったんだよ。あーあ、もっと早く気付いてりゃ堕ろしてやったのに」
それが母の口癖。母が男とよろしくやっている間、私は自分の部屋に籠りひたすら耳を塞いだ。部屋から出ると母に折檻されるのでトイレにすら行けない。ところが私が小学校に上がった頃から母は積極的に私を自分の客に紹介するようになっていった。
ある日、母が〝社長〟と呼んでいる男が私を手招きした。仕方なく男のところに行くと、せり出した腹に二重顎のその男は馴れ馴れしく私の肩に手をかける。卵の腐ったような嫌な臭いがした。
「なぁ、美咲ちゃん、今度おじさんの別荘においで。海の近くにあるんだ。何でもおいしいもの食べさせてあげるよ」
そう言ってニヤニヤしながら母の耳元で何やら囁く。母の顔がぱっと輝いた。今思えばいい金額を提示されたのだろう。当時の私は事情がのみこめずただ困惑するばかりだった。
「まぁ、よかったわね、美咲。そうだ、今度の週末お泊りさせてもらいなさいよ。うん、それがいいわ」
私は何とか断ろうとした。ひどく嫌な予感がしたから。だが母がそんなこと許すはずもない。週末になると「さ、行くわよ。さっさと車に乗りなさい」と私の手を引っ張り無理矢理車に乗せようとする。鈍色の空からはチラチラと雪が降り始めていた。
――このままではきっとひどい目に遭う。
そう確信した私はちょっとしたいたずらを思いついた。そう、子供らしいちょっとしたいたずらを。
「今日は後ろに座る」
母は一瞬眉を顰めたが、結局面倒そうに頷いた。私はひとりほくそ笑む。そして走り出した車の中で母に尋ねた。
「ねぇ、母さん。私、別荘で何されるの?」
母はギクリとした様子でバックミラー越しに私の顔を見る。だが何も言わずに視線を逸らした。私はため息をつく。ダメだ、このまま行っちゃダメ。私はさっき思いついたちょっとしたいたずらをしてやることにした。急カーブにさしかかったあたりで小さな手に力を込め母に目隠しをする。
「ふふふ、だぁれだ」
突然のことに母は狼狽し車は蛇行した。それから先のことはよく覚えていない。目が覚めたら病院にいた。正直言って私自身死んでしまってもいいと思っていた。このまま生きていてもいいことなんてひとつもない、そう思っていたから。でも母のいない世界なら生きていてもいいかもしれない、そうも思った。
ところが私は医師から意外な真実を聞かされる。何と母が生きているというのだ。さっと血の気が引いた。いけない、もし意識が戻ったりしたら私のちょっとしたいたずらがバレてしまう。それにあんな生活はもう嫌だ。私は一心に祈った。神様、お願いします、どうか、どうか……。
――母さんが早く死にますように。
了
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