君がため

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 為広の陣取る地の傍、松尾山から雄叫びが聞こえる。 「さて、この声はどういった意味なのだ」  兵が1人、こちらに走ってきた。  息を切らしており、なにやらただ事では無さそうだ。 「裏切りです!裏切りでございます! 小早川隊がこちらに向かってきております」 「そうか……下がって良いぞ」  溜息をつきながら天を見上げた。   こうなることは分かってはいたではないか。  そもそも奴が松尾山にいる時点でおかしいのだ。  それでもそんなことは無いと願う自分がいた。  金吾にはなにか考えがあって松尾山に陣取ったのだ。わしと大谷殿が考えすぎているだけだ。  しかしその願いは打ち砕かれた。  やはり金吾は我らに牙を向けてきたのだ。  金吾を事前に葬れなかった我らの失態だ。  いいや、それ以前に治部少を止められなかったのが原因か。 「父上……」  息子が不安げな顔でこちらに語りかけてきた。  そんな顔をするな息子よ、恐れることは何もない、今こそ豊臣の恩に報いるときなのだ。 「覚悟を決めよ庄兵衛。命を捨てる時が来たのだ」  庄兵衛は覚悟を決め、黙って頷いた後、自分の持ち場に戻って行った。  薙刀を手に取り、ひと呼吸置いた後、懐から書状を取り出した。  それをそばにいた兵に手渡した。 「これを大谷殿に」    兵は何も言わず、大谷隊の陣に向かって走り出した。  こんなこともあろうかと先に辞世を決めておいてよかった。  目の見えない大谷殿に渡すくらいなら、直接言葉を交わしたかったが、それは叶わなそうだ。  為広は身支度を整え、薙刀を持った右腕を天に向かって突き上げた。 「皆! 今こそ豊臣の恩に報いる時ぞ。裏切り者の小早川に目に物見せてくれようぞ」    「オー!!」  為広の声に共鳴し、皆が雄叫びをあげた。  すぐそこまで小早川隊が迫ってきている。 「大谷殿のもとへは行かせん」  ────小早川隊は物量で押そうと押し寄せてきた。   「我はここぞ金吾!そなたら弱卒など相手にならん!」  勇ましい声をあげながら為広は薙刀を振るった。   「戦え!命が続く限り戦い続け、刃を振るうのだ」  為広達の活躍は凄まじいものだった。  それは小早川の監視役として、小早川隊に所属した奥平貞治に致命傷を追わせるほどに。  しかし…… 「報告!輪違いの旗がこちらに向かっております」  脇坂隊らが援軍に来てくれた。そう思ったが、その考えは直ぐに打ち砕かれた。 「そうか……奴らも……」  隊が向かってくる方向から聞こえたその声は、紛れもなく、敵の声であった。  ──敵に囲まれ、もはや勝利の可能性など失われていた。  しかしそれでも為広は薙刀を振るい続けた。 「戦え!最後のその時まで。今こそ己が武勇を天下に知らしめるのだ」  もはや、周りに味方はほとんど居なかった。  息子の庄兵衛も討ち取られ、他の身内の安否も分からなかった。  これ以上、戦っても勝ち目が無いことなど、とうにわかっていた。  それでも、武士として、主への恩のため、友のため、名誉のために戦い続けた。 「お覚悟ー!!」  敵の将が為広に向かって槍を突き出した。  攻撃を受け止めようと、薙刀を振ったその瞬間、薙刀は鍔元から折れ、為広の体に槍が突き刺さった。  ──為広は笑った。   死の間際、大谷吉継に送った辞世を思い返した。 君がため 捨つる命は 惜しからじ  終にとまらぬ 浮世とおもへば  為広はそのまま地面に倒れ込み、その生涯を終えた。
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