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「何の用だ、ルーク。わたしは今すごく忙しいんだが」 「え? 何で?」  例によって狭い自分の私室にリチャードを呼び出したルークが自分の前の椅子を勧めながら首を傾げる。  不用意なのか、わざとなのか。たぶんわざとだろうと思いながらリチャードはルークを見返した。  無視してやろうと思っていたがそれはできない。ルークは自分にとって親代わりでもある。小さい時にはそれこそ後を追うようについて歩いた。  訓練に疲れて泣きだした自分を抱きあげて部屋まで連れて行って寝かせてくれたことも一度じゃない。良い人だと思っている。そうなんだが、自分が大人になるにつれて、この魔導師が優しいだけで無いのが分ってくる。  今となっては大いに疑問に思うことも多々ある。そう思ってもむげにはできない。ルークがああいう性格なせいか普段は意識などしないがルークは自分より地位が上なのだから。  そう思ってやっと時間を作って来てはみたものの「やっぱり無視すれば良かった」とリチャードは思い直している。 「君がガリオールに言いつけたおかげでヘッドと二人で地方に行かされるんだ」  つい愚痴っぽく言うと、ルークは不思議そうに首を傾げた。  その何刻か前、リチャードとヘッドはガリオールに呼び出されていた。白い大理石と黒曜石が複雑な模様を描いている大きな執務室は、人払いがされているのか一人を除いて誰もいない。  深い飴色のオークの大きな机の前に座っているのは、自分と変わらないくらいの年頃の青年だ。比べてみれば、自分より背も体の幅もはるかに少ない文官姿で、茶色の髪をぴっちり七、三に分け、長い髪はきっちりと一本に結ばれ後ろに垂らしている。その人が二人に向けてちらりとも表情を崩さず、静かに名前を呼ぶ。 「リチャード、ヘッド来たか」  座れとも言わずに彼は持っていたペンをインク壺に慎重に入れた。 「なんで呼ばれたか分っているか?」 「なんとなく」  空気が急にその存在を主張してきたのをリチャードは感じた。この最高位の魔導師は重力を自在に扱うことができる。  それからみっちりと魔導師の心得について半刻も説教されたリチャードとヘッドはよれよれになって部屋から出たのだった。 「言いつけたんじゃなくて、庇ったんだけどなぁ」  ふふんと笑いながらルークが耳元に顔を寄せる。 「だけど、ヘッドとやりたい放題じゃないか。良かったな、リッチー。それに、お礼を言われるんなら分るけど、何で文句を言われるのかねえ」 「な、何を分けの分らないことをっ」  熟れたトマトみたいになったリチャードはもごもごと言葉を濁らせ、ルークを大いに喜ばせる。 「痛っ」  リチャードは、首筋にぴりっとした痛みを感じてルークを押しのけた。この灰色の髪の魔導師は何かと仕掛けてきては人の反応を見て喜んでいるという悪癖持ちなのだ。  これでこの国の魔導師の頂点にいる三人のうちの一人というのだから人は分らない。 「これ一つで、またヘッドが焼きもちを妬いて今晩は燃えるんじゃない? この前はすごかったんだろ? この吸い痕一つでさ」 「ルーク!」  怒って見せても、ルークには通じない。 「可愛いリッチーが廟にいなくなると寂しいと思うわたしの気持ちを汲んで欲しいなあ、今晩ヤリ納めにする?」 「どこ触ってるんだ? ヤリ納めっておまえと何かあったことなんて無いだろ」 「そうだっけ?」 「そうだよ」 「こんなに長く一緒にいるのに? おっかしいなぁ……あ、そうか。おまえが抱かれるほうだとはここ最近まで気づかなかったからか」 「ルーク、話がそれだけならわたしはもう行くけど」  芝居がかった仕草でぽんと手を打つルークに、心理的に勝てる気がしないリチャードは話を打ち切るようにそそくさと扉の取っ手を掴んだ。 「なあ、頼みがある」 「頼み?」  そう、と言いながらルークの手が首を掠めて頬にかかる。いつまでも冷たいその感触にリチャードはぶるりと震えた。  小さい頃、何でいつもルークの体が冷たいのか不思議でしがみついて聞いたことがあった。 「ルーク、なんであなたはそんなに冷たいの?」 「それはわたしが人間じゃないからですよ」  そういや、それを聞いて幼かった自分は怖くておしっこを漏らしたんだったと、苦い思い出を振り払うようにリチャードはルークの指を撥ね退けた。 「なんです、頼みって」 「ああ、目的地に着いたらその近隣の街や村を殲滅してくれ。一人の生き証人も出さないように。ただし、自然災害に見せかけてね。自分でやりたかったんだけどガリオールがダメだってさ」 「じゃあ、おやすみ」そう言われて、リチャードはそのまま立ちつくしていた。呼びだしたはずの灰色の髪の魔導師はそのまま自分の部屋を出て行ってしまった。  ――簡単に言われたその場所に何人の人が暮らしているのか、彼は知らないはずは無い。その上でルークはわたしにそれを指示するのか。 「わたしが人間じゃないからですよ」という昔の言葉が蘇り、リチャードの背中に寒気を呼ぶ。  あれはきっと、終らない人生のメビウスの輪に閉じ込められたルークの苦悩の言葉だったのかもしれないと今なら思う。  普通の人間では無いという意味なら。  今は自分も同じだ。  それでも、温かい感情は無くしたくはない。リチャードは遠くなるルークの背中から目が離せなかった。
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