第1話『かばん』『わたあめ』『王女』

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第1話『かばん』『わたあめ』『王女』

「あ、穴があいちゃいました」  薄井幸子(うすいさちこ)は左足に履いた靴下の親指部分を見て溜息をつく。 「はあ……、今日はもう素足でいいですね。替えももうないですし」  替えになるものはすべて洗濯してしまった後なので、今すぐに履けるものはないようだ。  使用している二層式洗濯機には乾燥機などというものは付いていないし、元々幸子の所有する靴下は全部で七足しかない。  素足にローファーを履き、玄関を出る。  春の風が心地よく吹き抜け、幸子の長い黒髪をなびかせた。  出てきた場所は築四十年のボロアパートで、階段の脇に小さく『一流荘』と書かれた板が掛かっている。 「あっ」  二階に住む幸子がアパートの外階段を降り切った所で、通りがかったバイクが電柱に激突した。 「激しくぶつかりましたね……。ちょっと痛そうです……」  事故の原因はよそ見だ。バイクの運転者はたまたま、アパートから出てきた幸子を見てしまった(・・・・・・)のだ。  視界に入った幸子に釘付けになり、そのまま電柱に激突したのだった。  いったい幸子の何に気を取られたのか。――高校の制服であるブレザーは一度もクリーニングに出した事もなく、チェック柄のプリーツスカートも同様だ。足元はソックスを履かない素足にローファー。だがそれらは特に目立つ要素でもないはずだ。 「大丈夫ですか?」  幸子はバイクの男に向かって尋ねると、転倒したバイクから放り出されて転がっていた男は元気に飛び起き、――開口一番。 「ぼ、僕と結婚してください!」  ――求婚していた。  怪我もないようだ。 「気を付けてくださいね」  突然求婚されても動じなかった幸子は、男の無事を確認すると踵を返して歩きだす。 「待って! せめてお名前を!」  幸子はその美貌(・・)を振り向かせ、笑顔で答えた。 「ただの通りすがりの者です。名乗る程の者ではありません」  幸子の天使のような笑顔に打たれ、感動のあまり泣き出した男は呟く。 「ああ……女神だ。僕は今、女神様に会ったんだ」    幸子は類いまれなる美貌の持ち主だった。神の手による造形とも言えるその容姿は、誰もが振り返る美しさだ。  十六歳の女子高生だが、制服を着ていなければ百七十センチの身長とモデル顔負けの容姿は、とても少女には見えない。  そして彼女はとてつもない美貌を持ちながら、とてつもなく貧乏で―― 「あ、お題が降りてきました……今日のお題は……」  ――呪われていた。  幸子は一日に一度、天からの啓示を受ける。  それは三つのキーワードで、その日のうちにそのキーワードを絡めた行いをしなければならない。  それにはしっかりとルールが定められていた。  ①一日三つのお題を受け取り、それをその日の行動に絡める事で合格とする。  ②期限はお題を受け取った日の深夜零時までとする。  ③お題を一つでもこなせなかった場合は死をもって終了とする。  ④お題を口に出してはならない。言葉として発した場合、死をもって終了とする。    口に出すのも厳禁という事で、他人に助けを求め辛くなっている。  行動に絡めるというのもクセモノで、触っただけでクリア出来るものや、それを使用しないと駄目なものまで、お題によって変わってしまう。  もしそれが達成出来なかった時には、容赦なく死が訪れる。  幸子にはそのルールが嘘でない事は、身に染みてよく分かっていた。  それによって既に家族を亡くしているからだ。 「今日のお題……キツイですね」   タイムリミットは深夜零時だ。それまでにお題を達成(クリア)しないと幸子の命はない。  幸子はまず手に持っている学生かばん(・・・)に力をこめた。 (ピンポン!)  お題達成を告げる音が頭に響く。  クリアすれば正解音が鳴り、それを教えてくれるのだ。 「あとひとつは商店街に行けばなんとかなるでしょうか……今日()学校へ行く暇はないですね」  幸子はそのまま学校とは違う方向へ足を向ける。  目指すは商店街にある駄菓子屋だ。 「これをクリアしたとしても、最後のお題がやっかいです」  商店街は幸子の住むアパートから十五分も歩けば着く。  その駄菓子屋は早起きの老婆が営んでいて、朝の通勤、通学前の早い時間からお店を開けていた。  幸子はそこで袋入りの()()を買い求めたが、クリア音が鳴らない。  店の外に出て袋を開け、小さくつまんで口に含んだ。 (ピンポン!)  どうやら『わたあめ(・・・・)』は食べる事でクリア出来るらしい。  幸子はかばんからスマートフォンを取り出し、次のお題を検索した。 「現代日本でこれはちょっと……無理じゃないでしょうか」  納得のいく検索結果ではなかったらしい。  だが諦めるわけにはいかない。それすなわち死なのだから。  幸子は一つ思いついた事があったが、それをするには自宅アパートでは機材がないので無理だ。   「学校にはありましたね」  答えがどこにあるのか分からない状況で、焦る様子も見せない幸子は学校へ向かった。  幸子の通う高校はこの町にあるので歩いても行ける。    だが幸子が町を歩けばどうなるのか。――学校へ着くまでに三人のストーカーを生み、その後方に従える事になった。  たまたま通りがかって幸子の美貌に惹かれた者や、既に虜になって毎日幸子の顔を拝もうと通っている者たちだ。    さすがに校内へはストーカーも追っては来ないが、校門の外で未練がましく幸子の後ろ姿を見つめていた。  幸子はまっすぐに体育館の脇にある倉庫へと向かった。  その扉を二回叩くと、中から男の声が響く。 「マジカル☆ひかりんは!?」  それを聞いた幸子は一瞬の間を置き―― 「俺の嫁」  ――そう答えた瞬間、ガララと横開きの倉庫の扉が開いて、肥満体で小柄な男が飛び出してきた。 「貴様! 何故僕が今考えた(・・・・)合言葉の答えを知っているのだ!」  眼鏡を指でクイクイさせながら、額に脂汗をかく肥満生徒は唾を飛ばして叫ぶが、幸子はさも当然といった顔で答える。 「あなたが考えそうな事だから……」 「なんだと? それは僕に対して――」 「おじゃましますね」  幸子は肥満生徒を無視して倉庫の中に入る。  本来使用されていないはずのこの倉庫は、『漫画・アニメ研究会』の部室という事になっている。会員はこの肥満生徒ひとりしか居ない。   「阿仁鍬(あにすき)君、授業は?」 「ふん、僕は忙しいんだ。授業なんか受けている暇はない。貴様こそあいかわらずサボりか?」  肥満生徒、阿仁鍬は幸子の美貌を前にいささかも動じてはいない。彼は二次元の女の子にしか興味はなかった。 「こら! 勝手に僕のコレクションに触るな!」  アニメや映画のDVDが収められている棚を物色していた幸子は、いくつかの作品をピックアップしていた。 「プレーヤー借りますね」 「こらこら! いつ僕が許可した!? 勝手に触るなと言ったろうがこの雌豚!」  現実世界の女子に触る事の出来ない阿仁鍬は、叫ぶ事しか出来なかった。  それを理解しているのか、幸子はやりたい放題だ。  DVDマルチプレーヤーにDVDをセットした幸子は、モニターを睨んだ。  そのアニメは王室のシーンを映し出す。  暫く見た後で幸子は一言(こぼ)した。 「駄目みたいですね」  次のDVDをセットする。今度は海外の実写映画だ。  古き良き時代の名作映画のそれは、往年の名女優が生き生きと演じていた。  お姫様が身分を隠し、知り合った新聞記者と街で楽しく過ごした後でお互いに恋に落ち、最後にはその彼の目の前で身分を明かして叶わぬ恋を終わらせる。 「困りました。これも駄目ですか……」 「貴様、今度はいったい何を探しているのだ?」 「それは……言えません」  阿仁鍬はこれまでにも、幸子とこういうやりとりがあったのだろうか。  それ以上は何も訊かず、モニターに映る映像を観ながら幸子に問いかける。 「それは貴様が()()事では解決しないのか?」 「私が……ですか?」 「そうだ、ちょっと待っていろ雌豚」  阿仁鍬は部屋の奥のダンボール箱を漁りだした。  そこから取り出した二つのアイテムを幸子に見せる。 「どうだ? これは『とってもプリンセス♡ズッキュンかおたん!』のコスプレ衣装だ」 「それは……阿仁鍬君が着たものですか?」 「ぼ、ぼ、ぼ、僕が着るわけないだろう!? 僕は自分で着るより観賞する方が趣味なのだ!」  何故か赤面しながら言い訳をする阿仁鍬。  幸子は受け取ったローブを羽織り、そして頭に王冠を乗せた。 「……コスプレじゃ駄目みたいです」  お題クリアの音が鳴らない。  失敗だと思った幸子は既に諦め、次に何をすればいいのか思考を始める。 「諦めるのは早いんじゃないのか? 雌豚。現存在分析って分かるか? 貴様という存在は他人が認めて初めて存在出来るのだ。つまり貴様がたった一人でここに居ると主張しても、それを見て認識する者が居なければ、存在を証明する事にはならないのだ。……ならば僕が認めてやろう。貴様はその衣装を身に着けた時点で、とってもプリンセス♡ズッキュンかおたんだ。王女(・・)様だよ」 (ピンポン!)  その音は幸子の頭の中でこだました。  それは今日を生き残ったという証だ。    少し驚いた表情の幸子だったが、瞳は優しげなものに変わり――  その美貌で作られる天使の微笑みを、小柄で肥満な生徒――この部室の主の阿仁鍬に向けていた。 ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー 【三題噺】(さんだいばなし)とは、落語の形態の一つで、寄席で演じる際に観客に適当な言葉・題目を出させ、そうして出された題目3つを折り込んで即興で演じる落語である。三題話、三題咄とも呼ぶ。 ――ウィキペディアより。
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