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第3話『姉』『執念』『万華鏡』
薄井幸子には三つ上の姉が居た。
名を有希子という。
今から三年前、幸子が十三才、有希子が十六才の時の春。
呪いを親から受け継いでいた有希子は、窮地に立たされていた。
「『黒猫』と『岩塩』はクリアした……だけどあと一つが……」
深夜の公園で腕時計の数字を睨み、絶望感に苛まれながら己の運命を呪い、妹の行く末を想い、覚悟を決めなければならない時が来ていた。
◇
薄井家はある特殊な呪いを受けた家族だ。
その呪いは家族の中の一人だけに憑りつき、その者が死亡すると次の家族の一人へと無作為に引き継がれる。
呪われた者は一日に一度、天からの啓示を受け、決められた行動をとらなければ死に至る。
それは三つのキーワードであり、その日のうちにそのキーワードを絡めた行動をとらなければならない。
そして厳格なルールが定められていた。
①一日三つのお題を受け取り、それをその日の行動に絡める事で合格とする。
②期限はお題を受け取った日の深夜零時までとする。
③お題を一つでもこなせなかった場合は死をもって終了とする。
④お題を口に出してはならない。言葉として発した場合、死をもって終了とする。
◇
薄井家が呪われたのはいつからなのか。
有希子がもの心ついた頃には既に父親は呪われていた。
驚くべき事にこの父親は、普通に会社員として仕事をこなしながら、毎日の三題をクリアするという離れ業を十年以上も続けていた。
有希子はその父から、それまでにクリアしてきたお題のすべてを記録したノートを大量に譲り受けている。
正確にはそのノートはこの家族の共有財産なのだが、無駄な拡散と紛失を避けるために、有希子が管理するようになった。
三題は一つとして同じお題は出題されないのだが、様々なクリア方法を記したそれは非常に参考になるものだった。
そのノートは今、来るべき時のために、幸子の手に渡っている。
父親も昨年の春についに死んでしまい、その後に呪われた母親は優しい性格が邪魔をして、一週間持たなかった。
そして有希子に順番が回ってきたのである。
十六歳の有希子は一年近く頑張った。
父の遺してくれたノートが無ければ、もっと早くにリタイアしてしまっていただろう。
だが今、絶体絶命のピンチに陥っている。
「時間がもう……ない」
有希子は左手首にはめた腕時計、ピンク色のベビーGを睨む。
「午後十一時三十分、残り三十分」
唇を噛み締めた……だが正解のチャイムは鳴らない。
この時の最後のお題は『唇』であった。
有希子は思いつく限りの方法を、既に試していた。
唇を舐め、噛み、口紅を塗り、指で弄り、色々な形を作り、しまいには――
「あんな事までしたのに!」
――好きでもない同じ高校の男子生徒に、無理やり自分からキスまでしたのだ。
最初は相手の頬にしただけだが、正解音が鳴らなかったため、唇にもキスをしたのだが――鳴らない。
有希子は涙を流しながら、自らの舌を相手の口腔に挿入していた。
過去に告白をしてきた男子だったので、この事でおそらく勘違いをした事だろう。
自分の目的達成のために利用したとは言え、結果を得る事も叶わなかった有希子にとってのファーストキスは、羞恥と後悔と怒りでしかなかった。
この時有希子は、もう二度と学校へは行かないと誓っている。
そして解決策も見つからないまま、あても無く彷徨った後、深夜の公園へと辿り着く。
「このままじゃ私、死んじゃう……そしたら、幸子が呪われちゃう!」
呪いによって両親は既に死亡。残されたのは有希子と幸子の姉妹のみ。
有希子が死ねば、妹の幸子に呪いが掛かってしまうのだ。
「幸子はまだ中学生だよ……こんな呪い受けたらすぐに死んじゃうよ」
有希子はまだ諦めていなかった。妹のためにも諦める事は出来なかった。
こんな呪いのために死んでたまるか、妹に受け継がせてたまるか。
その執念はやがて狂気へと変貌し、有希子の心の中で何かが弾けた。
護身用に身に着けていたそれを求めて、スカートをまさぐる。
右手にナイフを握りしめた。
左手で唇をつまんで思いきり引っぱった。
右手のナイフを唇に合わせた。
両手が恐怖で震えた。
右手が狂気によって動かされた。
左手に唇だけが残った。
◇
幸子は鏡張りの世界で立ち尽くす。
いつしかキラキラと花が舞い降り、くるりくるりと回転し始めて世界が回る。
万華鏡の如く。
世界が回る度に転がる花と自分。
誰が世界を回しているのか。
自分はいったいいつまで転がればいいのか。
この世界から抜け出す事はできないのか。
回転して降ってきたお題を無視すれば、世界は止まるのだろうか。
自分がお題をクリアしてしまうから、また世界は回ってしまうのだ。
いっそ止めてしまおうか。
でも……でも。
幸子はいつもそこで目が覚めて、現実に引き戻される。
時折見る夢だ。
その度に三年前の姉の最期の姿を思い出し、自分はまだ諦めてはいけないのだと、弱気な心を叱りつけている。
近所の公園で発見された姉の遺体は悲惨な姿だった。
無念だったろう。
悔しかったろう。
死因は顔面の傷でもなく、出血多量でもなく、『不明』という事だった。
両親がそうであったように、姉もまた『呪い』によって殺されたのだ。
第一発見者でもある幸子は、その時の姉の左手に掴まれていたものを見ている。
最初はそれが何かわからなかったが、姉の顔の欠損部分を見た瞬間に理解した。
そしてお題が何なのか、容易に想像できた。
「おねえちゃん……投げキッスは試してみたのかな……答えは意外と簡単な所にあったりするんだよ」
幸子は姉を想う度に、運命に抗うという決意を再確認する。
生きてやる。生き抜いてやる。
そして世界がくるりと回る。
回った先で、ひらひらと花のように、三つのお題が降ってくる。
今日も幸子は三つの難題を解決し、万華鏡を回すのだ。
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