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第5話『太陽』『坂道』『天然』
「私、今日こそ死んでしまうかもしれません」
太陽に手をかざし、それを掴む仕草を見せる幸子は、体育館脇の倉庫の扉の前で阿仁鍬にそう告げた。
「はあ?」
「だって……あれ」
燦々と輝く太陽を指さし――
「どうすればいいのか、さっぱりです」
言葉とは裏腹に、それほど困った様子でもない幸子は、「OH-NO」と両掌を頭の脇で上に向け、おどけて見せる。
「ほう、あれか。貴様を太陽のようだと褒め称えろとでも?」
「そんな陳腐な表現ではクリアしてくれそうにありません」
「ならばそれは後回しにして、次のお題とやらに挑戦してみてはどうだ」
「……」
――薄井幸子は、毎日頭の中に降りてくる三つのキーワードに関連する行動をその日のうちにとらないと、死に至る呪いに掛かっている。
タイムリミットは午前零時。それは今日も当然のように続いていた。
幸子は阿仁鍬の腕を取り、歩き出す。
「ちょっと待て雌豚! 何故僕が貴様に付き合わなければならない!?」
「いいじゃないですか阿仁鍬君。恋人を装うほどの仲じゃないですか」
「馬鹿を言うな雌豚! すべて貴様の企みによって僕が巻き添えになっただけではないか!」
スタスタと学校の校門を抜け、阿仁鍬を引っ張って幸子は歩き続ける。
目的地は学校から五分も歩かない場所だった。
「ここは?」
ふいに立ち止まった幸子と目の前の坂道を交互に見やり、なおも掴まれている腕を振りほどこうと、ブンブンしながら阿仁鍬は問う。
「ここもなんとかしないとならない場所なのです」
「ほう」
目の前にはなだらかに傾斜する下りの坂道が続いている。
すぐに理解した阿仁鍬は、幸子を見上げると口角を釣り上げた。
「では転がるがいい。雌豚――ふぉああああ!」
突然背中を蹴り飛ばされた阿仁鍬は、坂道をゴロゴロと転がって行った。
「……ダメみたいです」
遠くに転がり行く阿仁鍬を眺めながら、ひとり呟く幸子。
「困りました……」
坂の一番下まで転がり、塀に激突していた阿仁鍬は素早く起き上がり、物凄い形相で駆け上がって来る。
「こぉぉのぉぉ雌豚があああ!!!」
まさか自分がローリングする事になるとは、思ってもみなかったのだ。
幸子の元まであっという間に駆け上がっててきた阿仁鍬は、文句を言う前に抱きしめられた。
「ごめんなさい阿仁鍬君。こうするしかなかったの。本当にごめんなさい」
「ふがー」
幸子のEカップの胸に顔を埋められ、手足をバタバタさせる阿仁鍬。
しばらくしてから解放された阿仁鍬の顔は真っ赤だ。
「こ、この……雌豚が……」
呼吸もままならなかったのだろう。ゼェハァと息を整えた後で阿仁鍬は叫んだ。
「この人殺し! 僕が受け身も取れない素人だったら壁に頭を強打して死んでいたところだぞ!」
「そこはほら、阿仁鍬君だったら大丈夫だと信じていましたよ」
確かに阿仁鍬は、坂道の一番下の突き当りの塀にぶつかる瞬間、絶妙なタイミングで受け身を取っていた。
「転がるなら貴様が転がればいいだろう!? ふざけるな!」
「今日はひとつもクリア出来ていないのです。察してください。私も焦っているのです」
「黙れ! この天然馬鹿!」
その言葉を聞いた途端、目を見開く幸子。
「あっ」
「なんだ?」
「……あれ?」
阿仁鍬の顔を見ながら、怪訝な表情の幸子は首をかしげる。
「おかしいです。今日は何もかもが空振りというか、ひとつも先に進めません」
「キーワードは全て出ているのか?」
「はい。掠るだけでヒットしてくれないようです」
◇
午後十一時五十八分。
夜の公園。
ベンチ脇の照明灯は、朧に二つの影を落としている。
「もう二分を切りました。こんな遅い時間まで付き合ってくれてありがとう。阿仁鍬君」
「おい、貴様。まさか諦めたとか言うんじゃないだろうな? まだ二分もあるんだぞ?」
澄ました表情の幸子とは対照的に、阿仁鍬の方が何やら落ち着かない様子だ。
「この公園はね、姉が変死体で発見された場所なのです。奇しくも姉妹揃って同じ場所で果てるとは、なんとも言えませんね」
「だから諦めるのは早いと言っているだろうが! 何かないのか!? まだあるはずだろう!?」
幸子は阿仁鍬の顔をじっと見つめ、優しげに微笑む。
「阿仁鍬君……キスでもしませんか?」
「はぁ!? 貴様何を言っているのだ? 今はそれどころじゃないだろう?」
「阿仁鍬君もそろそろ、現実の女性に対して抵抗力を付けた方がいいのじゃないですか?」
「ぼ、ぼ、ぼ、僕には必要のない事だ! き、き、き、貴様は自分の命の心配を今はするべきだろうが!」
幸子は阿仁鍬から目を逸らし、空を見上げ、見えない星を眺めた。
「今日は楽しかったですよ。阿仁鍬君と一日中デート出来て。最後に一緒に居られたのが阿仁鍬君で良かったと思いますよ」
「そんな事はどうでもいい! 今日は既に三つのキーワードを絡めたんだろう? ならば何か見落としてないか? 何か足りなかったものはないのか? よく考えてみろ!」
阿仁鍬の言葉に幸子は、今日を振り返る。
「そうですねえ。阿仁鍬君が私の事を太陽のようだと褒めてくれました。阿仁鍬君が坂道を面白いように転がってくれました。阿仁鍬君が私の事を天然馬鹿と罵ってくれました。……ああ、楽しかったなぁ……私、阿仁鍬君が好きです」
幸子の告白は本気なのか、そうでないのか、阿仁鍬もその言葉に気付いているのか、いないのか。
「それだ! いいか? 貴様は今まで様々なお題をクリアしてきた。だがよく考えてみろ。同じようなお題なのにクリアの条件が違った事は無かったか? 例えば『コップ』の時はそのコップで水を飲む事でクリア出来た。だが『グラス』の時は同じ事をしても駄目だった。その時は確かグラスを割る事でクリアしたのだったな」
「はい……」
「僕はある仮説を立てた。同じようなお題に同じような事をしても駄目という事は、貴様の三つのお題には何か隠れたキーワードがあるのではないかと」
「隠れキーワードですか?」
「そうだ。お題自体が貴様の口から聞ける事もないから毎回の検証は無理だったが、毎日のお題は『使う』や『使わせる』、『触れる』『触れさせる』等の共通のキーワードがあり、今回のそれも隠れたキーワードに引っかからなかったからクリア出来なかったのだ」
阿仁鍬も確信しているわけではなかった。
だが今日のこの事については、チラリと上を見て確認した瞬間に、――安堵した。
「では……今回のその隠れキーワードとは?」
「もう答えは出た」
阿仁鍬は斜め上を見上げ、公園の時計塔を指さす。
午前零時二分。
タイムリミットはとっくに過ぎていた。
「あっ」
それは遅れてやってきた。
(ピンポン!)
(ピンポン!)
(ピンポン!)
「今回、必要だったのはおそらく回顧するという事だ。貴様はさっきそれをやったのだ。これからは隠れキーワードの可能性も考慮するがいい」
両手を胸にあて、驚いた顔の幸子が、あらためて阿仁鍬にこう告げる。
「阿仁鍬君……キスしましょうか?」
「いらんわ! 雌豚が!」
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