外伝 子ども4

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外伝 子ども4

飛行機で古い温泉が有名な県の空港に着いた後、予約していたレンタカーを借りた。 「私が運転する」 由香はそういって珍しくハンドルを握った。 目的の島は、そこから隣町に移動して橋を渡ったところにあるそうだ。 由香は知っているようで懐かしいと言いながら運転していた。 「ここのアイスクリーム、母によく買って貰ったの」 道の駅に着いた時、由香が初めて話した。 18才まで暮らしていた県で、今から向かう島にお墓があるらしい。 結婚前に見た戸籍の本籍も住民票の住所も違っていたから、雄大は全然知らなかった。 「ここでの記憶はツライことも多いから。特に母が亡くなったのもこの町だから」 ポツリポツリと、由香は過去を話す。 お墓は島に本家のものがあるが、市内にも供養墓があり、そちらに祖父母と母親が分骨されていること。 18才まで育った家の前。よく家族で来ていたお店。通っていた学校。 懐かしむように、由香は雄大を乗せ、車を走らせる。 雄大は嬉しそうに由香の話すことや景色を目に焼き付ける。 「そろそろ島に行こうか」 橋を渡りながら由香は話す。昔はなかったこと、この橋が出来て船酔いしないでよくなったのが嬉しかったこと。 完成したとき、車が走っていない状態で地元の小学生のイベントで歩いたこと。 由香の過去をきちんと聞いたのは初めてだった雄大は色々質問をする。時折懐かしそうに目を細めながら由香は話続けた。 菩提寺は坂の上にあった。知らなければ通らないような細い道を車で上り、寺の下の駐車場に車を止める。レンタカーを借りるときに軽自動車にこだわったわけがわかった。 駐車場から階段を上り、寺の上に広がる墓地に向かう。 「夏だから虫に気をつけて」 そう言いながら由香はどんどん先に進む。置いていかれないように雄大も必死に着いていった。 「旨かった!」 宿での夕食が終わり部屋に上がってきた雄大は満足そうに伸びをした。 見るもの食べるものすべてが素晴らしかった。 そして初めて見る由香の表情が嬉しくて堪らない。 地元の人としゃべるとき、地元の言葉に戻っている姿や、懐かしそうに町を見渡す姿、美味しそうに地元の食事を食べる姿。 育った町だからか、由香もゆったり出来ているようだった。 部屋の奥にある椅子に腰掛け窓の外を見る。既にとっぷり日が暮れているから見えないが、目の前は海だった。海沿いに暮らしたことのない雄大は、部屋に着くなりしばらく窓の側から離れることが出来なかった。 それほど素晴らしい景色だった。 「ありがとう、案内してくれて」 すべての思いを込めて感謝を伝えた雄大に由香はゆっくり首を振る。 「雄大と一緒に来れてよかった。 …ありがとうは私の台詞だよ。ここでの最後の思い出は母が死んだということだったから。 …嫌な思い出しかなかったのに今日で上書きできた」 何か覚悟を決めたような由香の表情。雄大は目を逸らさず見つめ返す。 「…雄大となら… 雄大の子どもなら…出来たら産みたいです…」 「…由香」 「これが私の答え」 まだぐっすり眠っている由香を起こさぬようにそっと抱き締めていた腕を引き抜いた。軽くキスをした後、しばらく寝顔を見つめる。起きる様子のない由香の頭を撫で、着替えて外に出る。 目の前の海を直接見てみたくなった。 朝早いためすれ違う人もほとんどいない。 キラキラと水面に反射する朝日と、波の音。ざぶーん、という穏やかな音にゆっくりと耳を傾ける。 (子どもの名前は、広海にしよう) 雄大は何となく予感していた。昨日の交わりで子どもが出来たこと。そして子どもが男の子だろうということを。 由香が育った瀬戸内の海を見つめながら、広海が大きくなったら必ず連れてきたいと思った。 「広海ー!先いかない!」 初めて見る海に興奮している息子は海に突撃しようとする。 雄大は慌てて追いかけ、広海を抱き上げる。 「お父さんと一緒に泳ごうな」 「はーい!」 後ろから由香がゆっくりと歩いて来た。 「大丈夫か?」 「うん、ありがとう」 雄大の予感通り、由香はあの後妊娠した。つわりがひどく、仕事も辞めなければならなかった由香は精神的に不安定になることもあったが、その度に二人で乗り越えていった。 難産だった影響もあり、産後も中々体調が戻らない由香だったが、雄大が帰宅した後や休みの日は家事育児をして乗り越えて来た。 「広海にあの海を見せたいんだ」 雄大がそう話したのは、広海が5才になった頃だった。由香の負担がないようにゆったり目の旅行プランを組み、3人で瀬戸内海にやって来た。 「うーみー!おおきいねー!」 広海は興奮しながら雄大の右手を引っ張る。 由香はそんな二人を愛しそうに見つめた。 「由香?どうした?」 「幸せだなぁって」 雄大は左手で由香の手をしっかり握る。 「俺も幸せ。ずっと側にいて欲しい」 由香は返事の代わりに手を握り返した。 (完)
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