ヒトの人生

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ヒトの人生

 颯が今日の映像データを受け取ったのは深夜のことだった。カーテンが締め切られて蛍光灯がひとつだけ灯っている部屋の中で、楓は動画のラッシュを見るべくパソコンの電源を入れる。拓也、剛、誠の3人が撮ってきた動画はしっかりとした画角で撮られており、床に落ちている新聞をひっくり返す男達のズームショット、全体を俯瞰したルーズショットともによく撮れていた。場外馬券場の職員からの指示で最悪すべての撮影素材を消されている可能性も考えていたため、颯は思った以上の取れ高にほっと胸を撫で下ろしていた。 「おや?」  颯は画面を見つめながら不意に声を漏らした。目の前に映っているのは颯と蓮がしゃがんでいる後ろ姿と、その周りに群がる人々の姿だったのだが…… 「こんな奴ら、いたっけ?」  颯は再び首を傾げる。確かに颯の周りには床に散らばるごみを漁って当たり馬券を手に入れようとする輩は沢山いた。だが、ボロボロの服を着て皮膚もただれ、片足が裸足になった状態の男の姿は見たことがなかったし、背中に子供をおぶって腕の中にも赤ん坊を抱き、ボロボロの服を着ながら子どもをあやす女性の姿も目には入らなかった。その他にも首にロープを巻きつけたヨレヨレのコートを着た若者や、口から血を垂らしているスーツ姿の男など、今日の夕方には見かけなかった姿が1つ、2つ、3つと増えていき、ついには映像の中の颯と蓮を取り囲んだ。誠が撮影していたルーズショットにはしまいには取り巻きの姿だけが映るようになり、颯と蓮の姿は完全に隠れてしまっていた。 「なんだなんだ?」  颯は目を見開き、思わずそうつぶやく。目の前のディスプレイには少しずつちらつきが入るようになり、 徐々にノイズも入るようになってきた。青白い画面が目の前で光る中、颯の背筋に寒いものが込み上げてきた。 「ヒトの人生を何だと思ってるんだ?」 「ヒトの人生を何だと思ってるんだ?」  小さくか弱い声がスピーカーから聞こえてくる。その声は1つ、2つと徐々に増えていき、段々と声の束は太く、そして大きくなっていった。そして、 「ヒトの人生を何だと思ってるんだ!」  という束になった叫び声が響いた瞬間、画面に映っていた人々が一斉に振り返った。 「うわっ!」  颯が叫んだ刹那、パソコンのディスプレイ、蛍光灯など部屋の中の明かりという明かりがすべて消えた。ヒトの体温のような生温かい風が颯の手首に絡み、足首にまとわりつき、ついにはぬるま湯で濡れた真綿を何重にも巻きつけるように首を締め上げてきた。 「く、く、く……」  暗闇の中で声にならない声を出しながら苦悶の表情を浮かべる颯。全身を得体の知れないものでがんじがらめにされ、顔面は鬱血し、なす術が見当たらない。 「ヒトの人生を何だと思ってるんだ?」 「ヒトの人生を何だと思ってるんだ?」  意識が薄れ、瞳に見える光が消える中、おどろおどろしい声の多重奏が聞こえてくる。そしてその多重奏も、やがては聞こえなくなった。  真っ暗な部屋の中に、白目を剥いた颯の四肢がだらりと投げ出された。
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