天国と地獄

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天国と地獄

「さぁこれから第4コーナーを超えて淀の直線、およそ400mの最後の直線へと各馬差し掛かって参りました」  土曜の午後3時47分。場外馬券売り場の2階にアナウンサーの声が響き渡る。フロアの各所、天井より少しだけ低い位置に設置されているテレビはいずれも本日京都で行われているメインレースを放送しており、各馬が横に広がって叩き合いを演じる模様が映し出されていた。 「8番!差せ!」 「6番!残れ!」  映像の中でもフロアの中でも野太い声が飛び交う中で、アナウンサーの声のトーンも段々と熱を帯びてきた。 「さぁ残り200の標識に差し掛かる。先頭はユグドラシル、そこに食らいつくようにブリリアントカットが追い上げる。さぁ2頭の競り合いか……ん?」  一瞬だけ、アナウンスの声が詰まった。 「これは!これはっ!16番のヒャクバイガエシ大外から飛んできたぞ!51キロ最軽量ハンデの馬が飛んできた!残り100。一完歩ごとにその差を詰める。届くか、届くのか?届いた!」  アナウンサーの「届いた!」の声と同時に、ヒャクバイガエシの鼻面は2番手のユグドラシルに先んじてゴール板を捕らえていた。ヒャクバイガエシは16頭中の14番人気。フロアー中が落胆の色を含んだため息に包まれた。メインレースを終えた馬券売り場の床にはブリリアントカットの馬柱欄に真っ赤な二重丸が刻まれた競馬新聞やビリビリに破られた外れ馬券、書き損じた馬券購入用のマークシートなどが至る所に棄てられており、そこには革靴やスニーカーの黒い足跡が大きくスタンプされているものもある。それは言ってしまえば「(つわもの)どもの夢の跡」のようなものだ。  暫くして、場内に女性の声が響き渡った。 「京都11レースの払戻金です。3連単 948,270円」  高額配当が出たレース、それは当てられた人が非常に少なかったレースとそのまま言い換えられる。フロアの奥の方にある当たり馬券の払い戻し窓口に並んでいる人は、ほとんどいない。 「そりゃあ16番が来たらなぁ……」 「ヒャクバイガエシって……ヤネは徳田かよ。あいつ、またやらかしたな」 「あーあ、今週も負けた負けた」  気力を削がれた中年の男達の声が至るところから聞こえてくる中、大学生の(はやて)は周りの人の様子をひととおり見渡した後、しゃがみ込んだ。そして、床に散らばるごみをじろじろと眺めながら叫んだ。 「うわぁ!今の94万馬券、落としたぁ!」
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