都橋探偵事情『花虻』

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 宮川橋を渡り、都橋商店街の階段を上がる。廊下を歩いて二件目、都橋興信所の前で立ち止まる。ポケットをまさぐる。鍵を忘れてしまった。 「おはようございます、今開けます」  見上げるほど大きな男が解錠した。 「どうぞ」 「ありがとうマーロウ、また背が伸びたんじゃないか」  徳田が見上げて言った。 「残念ですけど俺も三十五です、ここんとこずっと成長止まっています」 「それじゃ私が縮んだとでも言いたいのかね」  徳田が言い返した時にはもう中に入っていた。古希を過ぎてからよく腹が立つようになった。自分じゃ出来ないくせに他人の仕草言い草が気になる。言ってすぐに反省するが出るのは止められない。 「本町の方はどうだね?」  この都橋商店街に興信所を開いて五十四年が過ぎた。徳田英二二十四の歳だった。来年傘寿を迎える。得物としてコートの内に隠し持っていたステッキは手放し、本物のステッキを使用するようになった。ただ細工がされていて、石突を外せばライフルのように弾が飛び出る。三連発で十メーター以内なら殺傷能力がある。都橋興信所御用達、屑屋の金さんの冥途の土産である。グリップに引鉄が内蔵されていて、回転すると引鉄が現れる。五年前に病床の金さんを見舞いに行ったときにいただいた。まだ使用したことがない、と言うよりこの五年間使用するようなハードな依頼には縁がなかった。 「はい、忙しいですよ、林所長は評判で実務が出来ないほど依頼が来ます」  中井正弘ことマーロウも本町店の調査員である。林が独立するときに徳田の薦めで片腕として付いて行った。ビルの一室を改造して新人調査員の武闘指導をしている。林の言い付けで毎朝都橋に顔を出して徳田の顔色を報告するよう指示されている。都橋に来た依頼もマーロウが本町に持ち帰り片付けてしまう。依頼金だけが金庫に入れられる。危ないことをさせるなと林の指示だが徳田はお節介が過ぎると苛立っていた。
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