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中西が轟を煽る。徳田の耳に虻の羽音。轟の手が運転席のドアノブに触れた。花虻が時速150キロでトラクターの上を通過。旗指物がパタパタと揺れる。轟の首に花虻がたかった。武三の握るスティックに力が入る。轟の顔は窓ガラスに押し付けられた。花虻が後進。急上昇。月の中で宙返り。中西が屋根を見るとそこに吉川武三の姿はなかった。轟は反転して背をドアに滑らせて尻もちをついた。満開の桜が青白い、轟の顔はそれより白い。花虻の風圧で舞い上がった花弁が轟の頭に落ちた。
「冥途の土産だ」
中西が吐き捨てた。
「西じい」
ミッチの黄色い叫び声。中西は手を挙げて答える。
「英二、お前どうする。俺はもうひとつ明け方前にやっつけなきゃならねえ仕事がある」
「新型ウィルスでみんな暇しているのに忙しいとはいいことだ。お前はどうやって帰る?」
「俺か、愛人が迎えに来てる、バイクの二人乗りだ。残念だがお前は乗せられない。トラクターで駅まで行け、ずっと農道走れば怪しまれることもない」
「この恰好でもか?」
「大丈夫さ」
中西は笑った。つられて徳田も笑った。大仕事の後はいつもこれだ。どうしてなのか分からない。涙が出るほど大笑いする。
「西じい」
ミッチの声で笑いを止めた。徳田はネギを二本抜いた。
「悪いがこれを事務所の前においといてくれないか」
差し出されたので受け取ってしまった。
「何すんのこれ?」
「すき焼きだよ、決まってるじゃないか。一人だから二本もあれば十分だ」
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