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父は依然より早く帰ってくるようになり家事をするようになった。 僕も自分ができることは全部やった。 僕と父の努力を消すように母は日に日に悪くなっていき、家の中は暗くなった。 母は食べ物を受け付けなくなった。 何も食べていないのに匂いがしただけでトイレに駆け込み吐いていたので、僕達は匂いのきついものは食べなくなった。 母は自暴自棄になり暴れることもあった。 物を投げそれが僕や父に当たり、僕と父の顔はいつもどこかに絆創膏が貼ってある。 お互いのそんな姿を見て、晩御飯を食べながら二人してボロボロ泣いた事もあった。 病院代はバカにならない。 一回病院に行くだけで、放射線や抗がん剤などやることによって諭吉さんが飛んでいくことは稀じゃない。 夜中に父が通帳を見ては溜息をつく姿は見てられなかった。 親戚たちはかわいそうに、大変ねなどと同情はしてはくれるもののそれ以上の事はしてくれない。 「同情するなら金をくれ」と昔のドラマでのセリフであったようだが、まさに今そんな気持ちだ。
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